僕の目の前で彼女は射法八節にのっとり7尺3寸の弓を引き絞っていた。
真剣なまなざしでひたすら的を見つめ続ける瞳。
そして流れるような美しい彼女の黒髪が夏の日差しを浴びて輝く。
(きれいだな…)
僕はただその姿を眺めるだけ。
ギシギシギシ
めいいっぱいに引き絞られた弓が軋む。
とその時、いきなり静寂に包まれた。
蝉の鳴く声も、風にざわめく木々の音も、町のざわめきも。
そして一瞬の静寂の後、彼女は手を離した。
ビュッ
放たれた矢は虚空を貫き、正面にある直径36cmの星的のど真ん中に突き刺さった。
射法八節すべてを終えた彼女は下を向き、大きく息をつく。
パチパチパチ
そこで僕は手を叩いて拍手をした。
「えっ!?」
いきなりの拍手に彼女はあわてて顔を上げる。
そして彼女は僕の顔を見て驚いた。
「と、時田さん!?」
「やあ、千砂ちゃん」
驚いた千砂ちゃんの顔を見て、僕は笑いながら手を挙げる。
すると千砂ちゃんは袴を翻しながら僕の側に駆け寄ってきた。
「ど、どうして時田さんがここにいるんですか?」
千砂ちゃんの質問に僕は答えた。
「どうしてってせっかくの夏休みだし千砂ちゃんに会いに来たんだよ」
「そ、それはうれしいですけど、どうして学校に?」
「いつみちゃんに聞いたんだよ。千砂ちゃんは弓道の練習で学校にいるってね」
「いつみったらどうして黙っていたの…」
「怒らない、怒らない。僕が千砂ちゃんには言わないで、って頼んでいたんだからね」
「はい……」
渋々頷く千砂ちゃん。
(これはどうも後でいつみちゃんにおごる必要ありかな)
そんなことを考えながら僕は道場を見渡した。
幅20mはあろう大きな射場、矢道には青々と芝生が茂り、的場にはいくつも的が置かれている。
弓道の知識などほとんど無い僕にもこの道場のすごさはわかる。
そして千砂ちゃん以外は誰もいないことに疑問を覚えた。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「何ですか?」
「どうしてこの広い道場に千砂ちゃんしかいないの?」
すると千砂ちゃんは苦笑いした。
「本当は今、うちの弓道部、夏休み中なんですよ」
「夏休み中? でも千砂ちゃんは…」
「わたしは秋の大会に向けて練習です」
「弓道が本当に好きなんだね」
僕がそう言うと千砂ちゃんはコクンと頷いた。
「そっか…。千砂ちゃん、練習しているところ見ていて良いかな?」
「えっ! 退屈だと思いますよ」
僕はその言葉に首を横に振った。
「千砂ちゃんの弓道をする姿が見たいんだよ。その…すごくきれいだし」
「あ、ありがとうございます…」
何となく照れてしまう僕と千砂ちゃんだった。
「ところで時田さんは弓道のことについてどれくらい知っていますか?」
「恥ずかしながら全然知らないんだ」
僕がそう言うと千砂ちゃんは微笑んだ。
「恥ずかしがる必要はありませんよ。わたしだって弓道やり始めるまでは知らなかったですし」
「簡単に教えてくれないかな?」
「はい」
というわけで千砂ちゃんのなぜなに弓道教室が始まった。
「弓道の基本に射法八節というのがあるんですよ」
「射法八節?」
「はい、そうです。足踏み・胴造り・弓構え・打起し・引分け・会・離れ・残心の八つの動作のことなんですけど…
口で説明してもわかりにくいですよね。ちょっとやってみます」
そう言って千砂ちゃんは僕の目の前で矢を射る。
成る程、確かに八つの動作だ。
「この八つの動作の美しさを競い合うのが弓道なんです」
「へえ、そうなんだ」
初めて知る事実に僕はただ驚くだけだ。
ただ疑問もある。僕はすぐにその事を聞いてみた。
「それじゃあアーチェリーとかとは全然違う?」
「はい」
千砂ちゃんは僕の質問に頷いた。