ひびきの、という名前の街があります。
そこは、やさしい鐘の響きに包まれた街。
誰もがやさしい気持ちになれる街。
そしてそこには、お姉さんの名前を白雪美帆、妹を真帆という、一組の双子の女の子が
住んでいたのです。
私が今からおはなしするのは、その双子に訪れた、すこし……
そう、ほんのすこしだけふしぎな物語――。
そのお店は、真帆ちゃんの高校からの帰り道、ショッピング街の途中に、ふときまぐれ
に入り込んだ、細い路地の向こうにありました。
それは、小さなアンティークのお店でした。
愛らしいフランス人形や、大きな柱時計、上品なティーセット……そんなものが並べ
られたそこは、大勢の人の行き交う商店街とは少し違う、ゆるやかな時間の流れの中に
あるように、真帆ちゃんには感じられたのです。
姉さんに教えてあげたら喜ぶかな――真帆ちゃんは一瞬そう考えた後、頭を軽く一振り
しました。――姉さんの方から謝ってくるまで、絶対に許してあげないんだから。
なぜなら、その日の少し前から、二人はけんかしていたのです。
きっかけは、お姉さん――美帆ちゃんの、ちょっとしたスランプでした。美帆ちゃんは、
学校のお芝居をするクラブで、そのお話を書く役目をしていたのです。ところが、次の
お話がどうしても思いつかなくて、困っていたのでした。
真帆ちゃんは最初、そんなお姉さんを励ますつもりだったのですが…………。
最初のきっかけがほんとうはどっちだったのか、今となっては二人にも分かりません。
たぶん、ちょっとしたボタンの掛け違えだったのでしょう。
いつまでも夢見てないでよ、もっと大人になりなよ――。
夢を見ることの何が悪いんですか、夢のない人には分からなくて結構です――。
気がつけば、そんな風にお互いをなじり傷つけあう、大げんかになってしまっていた
のです。
きしむドアをくぐりぬけて、ほこりのにおいがする店の中へと入ると、まっ白なひげを
たくわえたおじいさんが、奥の方で一人、眠っているのか起きているのかよく分からない
様子で、ひとりお店番をしています。
真帆ちゃんは、とりあえず店の中をぐるっと見わたしてみました。あんまり私の好み
じゃないな……というのが第一印象でした。彼女はどっちかというと、流行の先端を行く
ような、新しい品物が好きだったからです。
それでも、いくつかのアクセサリーなんかは、真帆ちゃんの目を引きました。たまには
こんなのをコーディネートするのもいいかな――そんな事を考えながら店内を散策して
いくうち、ふと、ひとつの品物に目が止まりました。
それは、小さな鍵穴のついた、宝石箱のようなオルゴールでした。それ自体もずいぶん
古そうですし、長い間ほうって置かれていたのか、うっすらとほこりが積もっていて、
あまりきれいだとはいえませんでした。
でも、真帆ちゃんはなぜか、そのオルゴールが気になって仕方なかったのです。
気に入ったかね、という声がしました。声の方をふりむくと、おじいさんがこっちを向いて、
にこにこ微笑んでいました。それはとてもいい物で、世界に2つしかないんだよ、と。
真帆ちゃんが、私高校生だからお金ないよ、と言うと、おじいさんは細い目をもっと細く
して笑います。君が気に入ったのなら、ただとは言わないが、少しはサービスしてあげるよ、
と。そしておじいさんが言った金額は、真帆ちゃんから見て、ちょっとだけ高いかな? と
いうぐらいのものでした。
真帆ちゃんがどうしようかと考えていた時間は、そんなに長くはありませんでした。
お互いに会話もしない、顔も見ないという、きまずい夕食の時間が終わると、真帆ちゃん
は自分の部屋に戻り、ドアに鍵をかけて、それからかばんの中のオルゴールを取り出しました。
なんでこんなの買っちゃったんだろう。ところどころにある汚れをウェットティッシュで
ふき取りながら、真帆ちゃんは自分に問い掛けます。こういうのは姉さんの専門なのになぁ。
――これを姉さんにプレゼントしたら、仲直りできるかな? 一瞬だけ、そんな気持ちが
心をかすめます。でも、真帆ちゃんはその気持ちを追い払ってしまいました。そうやって
姉さんを甘やかすからいけないんだ、たまにはびしっと思い知らせなきゃ、と。
ようやくオルゴールが拭き終わりました。真帆ちゃんは、音を鳴らしてみようと、おじい
さんからもらった鍵を、鍵穴に差し込みました。
……あれ?
どんなに鍵をひねってもまわしても、ふたが開く様子はありません。10分ほどの悪戦苦闘
の末、真帆ちゃんは怒って鍵を投げ出してしまいました。壊れてるものを売りつけるなんて、
なんて悪徳ショップ!
真帆ちゃんはベッドの上にごろんと横になりました。明日は休みだし、お店にクレームしに
行こう。もし直んなかったら返品してやるんだから……そんないらいらした気分のまま、真帆
ちゃんは眠りについたのです。
その夜、真帆ちゃんは夢を見ました。
それは、二人がまだ小さかったころの夢でした。
小学校に上がって、買ってもらったばかりの二段ベッド。
でもその日、真帆ちゃんは一人で寝ることができませんでした。
学校で怖いお化けのうわさを聞いてしまったからです。友だちの前では平気だって強がっ
てはいましたが、夜、一人で暗がりを見つめていると、天井の模様もカーテンのゆらめきも、
みんなお化けに見えてきてしまうのでした。
しょうがないから、真帆ちゃんはお姉さんのベッドにもぐりこむことにしました。美帆
ちゃんは最初びっくりした顔をしていましたが、にっこり微笑むと、ふとんを半分貸して
くれました。
そして、いろんなお話をしてくれたのです。森の国の王子さまのお話や、砂漠の国のお姫
さまのお話。テレビの中でしか見たことのない、ずっと遠くの、ずっと昔のお話を、美帆
ちゃんはまるで見てきたみたいに生き生きと話してくれました。
そんなお姉さんを、真帆ちゃんは魔法使いみたいだと思いました。そして、心の底から誇
らしく思ったのです。
次の場面は、もうちょっとだけ大きくなったころの思い出でした。
ある日、泣きながらはだしで帰ってきた美帆ちゃんを見て、真帆ちゃんはびっくりしました。
話を聞くと、クラスの男の子にからかわれて、靴をどこかに隠されてしまったらしいのです。
話を聞き終わると、真帆ちゃんはすごい勢いで、どこへともなく飛び出して行きました。
そして、帰ってきたとき、勝ち誇った笑顔の真帆ちゃんの手には、美帆ちゃんの靴が
ありました。
それを見て、美帆ちゃんはもっと泣き出してしまいました。驚いたのは真帆ちゃんです。
どうして泣くの? と聞くと、美帆ちゃんは妹の服を指差しました。ごめんね、私のせいで、
ぼろぼろになっちゃった、と。その服が真帆ちゃんのお気に入りだったことを、お姉さんは
知っていたのです。
お姉さんをなだめようとするうちに、とうとう真帆ちゃんも泣き出してしまいました。
そして、しばらくの間、そうして二人で泣いていたのです――。
気持ちのいい朝を、真帆ちゃんは迎えました。
なんだか、ずいぶん懐かしい夢を見ていた気がします。でも、それがどんな物だったか
までは思い出せないのでした。
でも。
ひとつだけ思い出せるのは、夢を見ている間、ずっとひとつのメロディーが流れていた
こと。それは聞いたことのない、でもどこか懐かしいメロディーでした。
――もしかして。
真帆ちゃんは、昨日買ってきたオルゴールを確かめました。でもオルゴールは、買って
きたときと同じ、鍵がかかったままでした。
真帆ちゃんは、部屋のすみに投げ捨ててあった鍵を拾い、それから服を着替え始めました。
今日は出かけなくてはいけません。大切な用事のために。
おっかしいなぁ。
真帆ちゃんは口の中で小さくつぶやきました。昨日、オルゴールを買った、あのアンティーク
のお店が、何度探しても見つからないのです。
この辺だったはず、という場所で、なんどもなんども道をたずねてみましたが、帰ってくる
答えは同じ、そんなお店は知らない――それだけでした。何十年も前からここでお店をして
いるという、古いお店のおばさんでさえそうなのです。
このオルゴール、修理してもらわなくちゃいけないのになぁ。
もう一度、街を一周してみよう。そう決めて、角を曲がったとたん――。
美帆ちゃんにばったり出会ったのです。
二人は、鏡にうつった自分を見るように、しばらくの間、お互いの姿をぼうぜんと眺めて
いました。そして、ほとんど同時に、バッグから何かを取り出しました。
二人の手には、同じ形のオルゴールと、同じ形の鍵が握られていました。
何かをひらめいたように二人は、互いの持っていた鍵を相手に差し出しました。美帆ちゃん
からもらった鍵を差し込むと、真帆ちゃんのオルゴールは、かちっ、と小気味のいい音を
立てました。
二つのオルゴールから、二つのメロディが流れ始めました。ひとつは、ゆるやかな春風の
ような、優しいメロディ。ひとつは、夏の太陽のような、元気で明るいメロディ。
テンポも曲調もぜんぜん違う二つの旋律は、なのに不思議に絡み合って、きれいな二重奏を
かなでていたのです。
二人はしばらくぼうぜんとした後、やがて笑い始めました。笑って、笑って、ひとしきり
そうした後、自分の持っているオルゴールを、姉妹に差し出したのです。
仲直りのしるしのプレゼントよ――と。
ひびきの、という名前の街があります。
そこは、やさしい鐘の響きに包まれた街。
誰もがやさしい気持ちになれる街。
これは、そこに住む双子に訪れた、ほんのすこしだけふしぎな物語。
だけど、あなたが街を歩いていたとき、小さなアンティークのお店をみつけたら。
そして、どこからか不思議なオルゴールの音色が聞こえてきたら。
次の物語は、あなたが紡ぐのかもしれませんね。
<おわり>
お久しぶりの缶珈琲です。SSスレがみつナイ長編連載中なので(著者の方お疲れ様です)
割り込むのも何かと思ってこっちにUPしてみました。
童話調を狙って、いつもと文体を変えてみてますが、さて、どうだったでしょうか。
(書き手的には、ちょっとあざとく見えちゃうかもなぁ…とか気になってるんですけどね)
>>818-824「双鳴曲」、ときメモ2より白雪姉妹のお話です。
ではまた。