夜行列車を模型で楽しむスレ 10レ

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663名無しさん@線路いっぱい
菜の花鉄道の客車列車の歴史


菜の花鉄道の前身は上越急行鉄道であり、更にさかのぼれば
高崎鉄道・越後登山鉄道・上越鉄道・新潟軌道にさかのぼる。
モータリゼーションの影響で鉄道の危機で倒産が相次ぎ昭和38年に4社がグループ会社となった。
その後昭和42年に上越急行電鉄に発展解消して今日の基礎を築き、
平成5年に関東鉄道常毛線・常総線・東松山線・熊谷線を合併し、関東鉄道の傘下であった
津軽鉄道足尾線・同和鉱業真岡日立線・小湊鉄道武蔵野京葉線を吸収合併した。

旧上越鉄道では昭和42年の合併後しばらくは各社が以前のままに戦前製の車両を運行して、
首都圏ー新潟間においても埋田鉄道の80系を借りて運用している状況で、客車列車とは遠い無縁のてつどう時代はつずいたのである。

我が菜の花鉄道の客車列車の誕生の起源は、信越登山鉄道を昭和48年に買収し傘下におさめ
軌道を762ミリから1062ミリに改修し軽井沢まで延伸に成功させ、長野村上鉄道に直結させたのがきっかけであった。
当時は甲府客車区ホールディングス管轄の中央線を使った首都圏ー長野・北陸ルートが一般的であり、
信越線の開通は新たな対首都圏ー長野ルートを開拓することになったのである。

昭和50年にわが社では機関車の製造実績がなかったことから長野村上鉄道に横川ー軽井沢間の経営を委託、
ef62を投入下うえで、14系寝台+14系座席車による夜行急行列車が2本増設された。
ここがわが社の記念すべき客車投入の流れである。




















664名無しさん@線路いっぱい:2012/05/08(火) 16:37:02.89 ID:KHZcuI/A
急行から一般型客車列車の投入について。


昭和50年に長野村上鉄道にて投入されたEF62の実績を踏まえ、上越線系統で運行拡大を行なう計画がなされ、
昭和53年に水上機関区・長岡機関区に大量投入されることになった。
わが社ではEF62-1000は保有していたものの機関車運用の投入の必要性がないために埋田期間区のEF64を使い業務委託を行なっていたのである。
しかしEF64では5000M級の越後山脈を越える運用は厳しく、より安全なEF62の重連で険しい山間部を抜ける運用が可能になったことから
自社保有・自社運用に方針が切り替わったのである。


昭和55年、羽越鉄道を回収し白新線・越後線・羽越線(新津ー村上間)を運営化に置いた。
わが社では上越4社の母体の関係から各社まちまちの電車で運用し、事実上混結が厳しくそれぞれで旧会社ごとに運用され、
優等列車のみ165系・189系を先行投入して本社管理の上ダイヤを加えていたのである。
しかし旧型電車の経年劣化から52年より115系の新制投入が進みこれを機に上越線の一体管理に以降させている時期であった。

しかし115系の投入は首都圏主体であり、165系は189系のときの増発まで余裕がなく、
時期を同じく大量増備を行なっていたEF62と流れを同じくして買収した羽越鉄道の主力であった50系客車22両を入手し
運用の穴埋めを行なえるメドがあったことから羽越線で編成をぎりぎりまで短くして新潟ー長岡間のピストン運行にも当てられて
50系12系増備により今日の新潟地区の客車列車天国と言わしめるような姿となった。


わが社の客車列車の運行については急行用と普通列車用に区分され、
急行用は14系寝台.14系座席車の混結が主体である。
一方普通列車は新潟地区を中心に進められ、12系50系が主体である。












665名無しさん@線路いっぱい:2012/05/08(火) 16:50:17.76 ID:KHZcuI/A
客車列車の衰退


我が菜の花鉄道でも近年運用改革がすすみ、@短編成高頻度運転を主体としたアーバンネットワークの新設
A特急と快速の2分化B乗り入れによる運行上の利便化が行なわれるようになった。

首都圏では近年の乗客の増加で2ドア車による運行によりラッシュ時による遅延が頻発して
ダイヤ支障が出ていることもあり、複数路線への運行分割、2ツドア165系を115系に置き換えることが最優先課題であった。
その背景もあり急行列車を削減し余った165系58系を普通列車に転用し、115系と置き換えて首都圏に捻出する計画が進み、
平成6年の改正で完了した。

平成6年のダイヤ改正は当時客車王国であった新潟地区で猛威を古い、
羽越本線の一部以外のすべてを駆逐することになる。
高頻度高密度運行には電車・気動車が有利であるため、急行廃止によって捻出された58系165系の天下にとって変わられたのである。

現在では首都圏においてはE231系223系の増備もあり、115系が新潟地区に再転属してきたことから、
平成13年のダイヤ改正でわが社から全部姿を消すことになり、50系は用途廃止12系は団体臨時用となった。
14系寝台.14座席車は置き換えのメドがないことから当面は安泰である。