90年代のはじめ、□コモデルの駄品をよく方引きしたものだった。
当時、日暮里に2店あったロコモデルのうち
私鉄館は、もみあげジジイの臼石征がいつも店の奥で
作業をしていたことから、駄品が並んでいる商品陳列棚の
ところは方引きし放題だった。
方引きし放題とは言っても、キットの幅に仕切られた
アイボリーに塗られた縦積みの商品棚から、目に見えて
駄品が減っているようではさすがにバレるので
パクった品物があったところへ別の駄品を移して入れて置くなど
その点はカモフラージュするとか気を遣っていた。
そうこうして、駄品であることに目を瞑って
使ってやっているうちに臼石征のバカタレが
さすがに駄品による詐欺行為の在庫と計算が合わないことに
気づいたようで、漏れが私鉄館へやって来ると臼石征の
バカタレが店の奥から出てきてレジのところで、
何をするわけでもなく居るようになった。
早い話、見張るようになったわけだ。
なんとか見張りをかわせないかと考えて、長髪のカツラに
サングラスをして参じたが、こちらの容姿も
徹底していなかったこともあってか詐欺行為を欺くには到らなかった。
結果、駄品に価値を見いだして拝借してやろうと
店を訪れてやっているのに、恩を仇で返すような
臼石征の見張りが癪にさわったので、日暮里駅前の交番へ
価格相応の品質をとらない詐欺をはたらく店があると
直接通報をしたが、まともに取り合ってくれなかった。
夏、暑い時期になると私鉄館の入口の扉が開けっ放しになる。
見張りのこととかで頭にキていたので、国鉄館の並びにある
駄菓子横町で買ってきたケムリ玉とロケット花火を
開けっ放しの扉から撃ち込んでやった。
さきに点火したケムリ玉数個を放り込んでから、
今度は扉のまえに並べたロケット花火に点火する。
『シュッ!シュッ!!シュッ!シュッ!!』
勢いよく、ケムリ発ち込める店の中へ飛んでいく
ロケット花火が、臼石征がいるであろう店の奥で
『パンッ!パンッ!!パンッ!パンッ!!』
と爆発する。
『うわぁーぁッ!!』
ケムリ発ち込める私鉄館の奥から臼石征の断末魔が。
断末魔を聞いて即座にそこから逃げるのは言うまでもない。
逃げてすぐに再び私鉄館の近くまで戻って様子を窺うと
臼石征のバカタレが物凄い形相にて私鉄館の扉のまえで
辺りをキョロキョロしていた。
それを見て、本当に「やっつけたゾ」という達成感を感じた。
スカッとした爽快な気分と臼石征のあの時の形相は
いまでもよく覚えている。
年喰った知障はたちが悪いな
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優良顧客-3 ◆tZ2U1OJdvc :2007/11/07(水) 05:46:05 ID:QRTtd/w1
そののち、日暮里から国鉄館と私鉄館ともに
まとめる形で外神田へ店が移転してしまい、
新たな店の造りが詐欺行為を防衛する形だったため、
駄品の拝借そのものが不本意ながら不可能な情勢になってしまった。
それでも拝借してやろうと考えた駄品があって、考えた末に
しょうがないから金を払っての購入に応じてやることにした。
はじめの2回ほどは、店から送付されてくる駄品に
同封の振込票のとおり、不本意ながら金額を
入金していたが、そういうつもりは無かったが
のちに注文をして駄品の送付は受けるが支払をしないようになった。
さすがに白黒はっきりした注文をしていて駄品とは言え
支払いをしないのはさすがにマズいと当時思ったものだが。
そんなことが続いたあと、外神田で新しい詐欺行為を
スタートさせた、あの□コモデルが閉店するということを知った。
外神田の□コモデルが本当に最期の数日、いまヤフオクに
よく出品されている駄品の素、作成用紙がタダで持ってけ!されていた。
これらも至極当然いただいた。タダどころか
□コモデルとしては始末できるのだから、1枚いくらかの
謝料くらいあっても良いのに、最期まで図々しい店だ。
あの頃、あれだけ手に入れた駄品も完成させたり
手を付けたのはほんの一部で、その他はそのまま
手付かずで持っている。
とても造りきれる量ではないので、それこそヤフオクにでも流そうか。