1 :
オーバーテクナナシー:
昨今の社会問題の大半は、人間が必要以上に長く生きる事により生じている気がするのです
歳をとってなお、天下りや各種の不正を駆使して蓄財に励む政治家や企業幹部
老害とも言える彼等の行動は政治と企業活動を腐敗させ、世の中全体を暗く希望の無いものにします
そうした各界の重鎮達の中には、外国に技術や外交機密を売ってまで金策に励む方もいるといいますから非常にタチが悪い話です
彼等はまだまだ生きるつもりでいるからこそ、権力の頂点に上り詰めてからもそうした悪行に手を染めるのでしょう
そして一方の庶民
社会不安から「安定した老後」に備えて、消費を極力抑えた貯蓄中心の経済活動を行う事で経済を不活性化させています
年金と貯蓄を中心とした老後の人生設計は、早い段階から人々の生き方に大きな制限・制約を課し、自由と娯楽を人生から損ないます
これも長く生きる事を想定すればこその人生の不自由です
また、子供達は将来の夢や希望進路を聞かれると、「公務員」や「大手企業の社員」等と言った安定志向の選択肢を一番に挙げるといいます
夢という言葉の持つ意味が「安定した老後」を確保できる職業選択に変化してしまったように感じます
「長い目で将来を見据えた生き方を選択する」
それが決して悪い事だとは思いませんが、しかし現状は行き過ぎてはいないでしょうか?
「人間五十年」とまでは言わなくとも、もう少し人間の寿命は短くても良いような気がするのです
そうすればもっと、人間の生活は将来・未来を意識し過ぎない中身の濃いものになるのではないでしょうか?
そこで人間の適正寿命、何歳位で人間が死ぬ社会が理想的かを考えてみてはいただけませんか?
人間の長寿を追い求めるばかりが科学の今後とも思えないのです
逆に人間の短命化を人類全体で図る必要があるのではないでしょうか?
人類全体の短命化技術や短命化した社会の考察等を議論していきましょう
2 :
オーバーテクナナシー:2010/01/12(火) 22:54:35 ID:J1zqX5/+
短命化社会における人々の人生設計の可能性として、
・短命化された寿命に合わせた現行の人生設計の縮図を生きる(状況に変化なし)
・短い人生を最大限謳歌すべく、短絡的で享楽的な人生を送る(宵越しの銭を持たぬ人生・経済の活性化と犯罪の増加?)
・哲学・宗教の発達等に見られる精神性文明の発達(従来の老後が死後にシフトし、貯蓄が徳行に置換される)
・物質偏重の価値観が強化され、資産・財産を血統で所有する方向へとシフトする(貯蓄・蓄財傾向の強化と半封建的な社会の形成?)
等を考えてみました
保守
ごく一部の富裕層や特権層(政治家)などが数百年くらい長生きしたがるので結局ダメ
5 :
オーバーテクナナシー:2010/01/13(水) 19:42:20 ID:JZvHKimB
>>4 浄水設備等の大規模なインフラに仕掛けを施してはどうでしょうか?
例外を作らない方法で大規模に短命化を図れれば理想的だと私は考えます
どだい、寿命が縮む等という事を率先して受け入れられる人がそう多くいるとは思いません
テロメアの長さ等に反応して作用する毒物(?)を用いて秘密裏に人類の全体的な短命化を図ります
毒物(?)は遅効性である事が望ましいでしょう
生活用水に長期間浸透させることに成功すれば、毒性に気がついた時にはもう手遅れ、という状況を作り出せませんか?
水は一例として、米や小麦等の主食穀物に仕掛けを施しても良いですね
考え方が少々非合法な方向に偏っていますが、それ位すれば例外を作らない事も可能ではないでしょうか?
非合法というかもうクーデターだし
7 :
オーバーテクナナシー:2010/01/14(木) 00:41:18 ID:v3DoLjhh
破断界という小説にも、そ〜〜んな話があった、銀座のアル交差点に
その機会が設置してあって、そこを通った人は、子供が生まれなくなる。
国が静かに人口調整を始めるという話、
堺屋太一の小説、新しい資本主義のひとつの形
保守
保守
短命化による社会的なメリット
・親の長生き頼みのニートが減る
・高負担の高福祉、社会保障・高齢者の医療費・年金の問題が解消される
・介護疲れの殺人や徘徊痴呆老人の行方不明等がほぼ無くなる
・定年年齢が下がり、寿命と貯蓄を照らし合わせ40半ば〜50歳位で仕事を辞める事が出来るようになる
・企業や行政の人事の流動性が上がり、労働者需要が向上する
・「老後」を心配する必要性が無くなり、必要以上の貯蓄・節約をしなくて済み、経済活動が活性化する
・保身や安泰の追求姿勢が多少衰え、短い生を充実させる方向へ人生設計の規範が移行し、多分不正や汚職が減る(?)
他にもきっと色々あるはずです、短命化社会のメリットが
我々は長寿、高齢化社会によってあらゆる自由を損ない、生活を脅かされています
医学・薬学等の医療技術の発達は人間の寿命を延ばしましたが、
それにより生じる介護や高負担の高福祉問題には向き合ってきませんでした
今こそ現状を見直し、短命化社会の利点・可能性に目を向けて検討を行うべきではないでしょうか?
実施の可否、倫理や技術上の問題点等も含めて議論していけたら幸いです
>>7 不妊化は社会の新陳代謝を阻害するので望ましくないですね
短命化社会の思想は老害の排除と経済の活性化、各種人事の流動性向上と労働者需要の向上に意義がありますから
その小説の政府の指針は短命化社会の理念とは相反する方向性ですね
未来を気にしなくてもいい、ってのはつまり今さえよければいいということであり、
短絡的な犯罪が増加する。
>>11 可能性はあります
しかしながら寿命が短くなる分、懲役刑・他の刑罰の持つ重みもまた変わってくるはずです
未来が限定的になるからこそ短絡的な犯罪は減るかもしれません
ただでさえ短い生を、好き好んで不自由に過ごす人がそう多いとは思えないのです
寿命が短くなるとそれだけ産める子供も少なくなるから少子化が加速する。
世は移ろいやすく、人の命は儚い。
だからこそ、一日を、一瞬を代え難き尊いものとして真剣に生きねばならない。
そして、連綿と続いてきた血統を次代へと繋ぎ、子や孫の為により良い世の中を作らねばならない。
人間が長寿となり、必要以上に「老後」の充実を求めた事で社会は急速に劣化していったように思う。
単純に長生きが悪いのではない、老人の生活を支えるシステムが「共同体による繋がり」ではなく「行政による福祉政策」に移行しているのが問題なのである。
納税や年金納付による、行政を経由した連帯互助には縁や情と言った人間同士の精神的な繋がりが皆無である。
老人も若者も互いを思いやって年金に関わっているのではない。
受給者は既に納付した者として当然の様に年金を受け取り、納付者は自分の老後の生活に保障を得る為に年金を支払う。
行政を中継する事で、年金制度に関わる二者は完全に自分の事しか見なくなった。
ここに老後と老人に関する個人主義の蔓延が始まったように思う。
子や孫の世を良くする為に尽くすよりも、自身の老後の安定の為に蓄財する事が人生の、労働の目的となってしまったのだ。
これは福祉だけの問題ではなく、労働や社会参加そのものに幅広く繋がる精神性の劣化であり、非常に由々しき事である。
>>13 寿命が減っても生殖・出産適齢期間自体は減らないから少子化には直結しない。
50歳くらいで亡くなるような
システムがあるといいですね
苦しまずにスパッといける。
老化で病気が出てくる前に。
寿命は短いけど、体感寿命は今のままにするのが良いと思います。
諸星大二郎の漫画にありましたが、全員子供のままで成長を止める。
すると寿命は体重に比例する分、体感寿命は増えるので、
その体感寿命が80歳になる時に安楽死。
身体は人間工場で再利用。新しい子供は人間工場で生産。
人口調整も簡単だし。
みんな一番良かった時期が子供時代ならば良いアイデアに
なるんですけど・・・。