27 :
遊び人の玲さん :
2006/12/21(木) 10:36:44 ID:tEeAClsz 「素数が見える」は、本人の正直な言葉だと思います。 人間の脳というより、遺伝子情報系とセットになった知的情報処理システムは、 かなり複雑な計算でも、無意識のうちに簡単にやってしまう自律的な機能を持っているので。 そうでなければ、ややこしい人間の体のメカニズムなど、 遺伝子情報系がうまく全部計算して設計出来るはずがありません。 人間は、持っている情報処理能力を十分に操れるだけの、意識の容量を持っていないので、 通常はこの種の計算能力が備わっていることを意識出来ないだけです。 意識的に視覚情報を処理するレベルでの計算能力は、 カラスも人間もほとんど同程度と判明しています。 4つまでの足し算は出来ても、5つになるともう怪しくなります。 だからローマ数字は I II III IV と表記するし、漢字は 一 二 三 四 と表記します。 3つまでの棒の数は、見た瞬間正確に識別出来ても、それ以上は難しくなっていってしまうのです。 ソロバンの玉の数なども、視覚上で計算処理出来るように、一列の数が制限されています。 人間は、視覚的なイメージを用いた意識的な思考レベルでの 自覚(フィードバック)可能な計算能力に限界があり、 4個以上のものは意識上に保持することが難しいため、 自分にはこのレベルの計算能力しか備わっていないと考えがちです。 しかし、視覚的なイメージとして意識している思考は、多くのデータを処理した結果なので、 視覚的なイメージを用いない無意識レベルの思考ならば、 大量のデータ処理を必要としないぶんだけ、余裕が生まれてきます。
28 :
遊び人の玲さん :2006/12/21(木) 10:39:33 ID:tEeAClsz
自分の無意識レベルの思考も同じぐらいしか性能が備わっていないなどと、 何の根拠もなく漠然と考えるのは、非科学的迷信としか言いようがありません。 たとえば数値を、IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII といった表記方法で表現してもいい筈です。 人間は意識出来ないだけで、無意識のレベルではこの程度の数の棒なら見た瞬間に数を特定できています。 また、普段は数えたことなどない、よく渡る歩道橋の階段の数などは、 意識していなくても無意識のうちに情報処理してその数を潜在意識レベルで正確に知っているので、 特殊な思考モードへと誘導してから質問すると、ほとんど間を置かずに回答を得ることが出来ます。 素因数分解を視覚的なイメージなどを介して意識上で行わない場合は、 意識的な思考は邪魔をしてしまうから、必要ないんですよね。 計算は無意識のうちに自律的に行われているので、 素数が見える=イメージとして意識上に自然に浮かんでくる、という表現で正解だと思います。 それから、人間の大脳の活動には、代謝物質の移動や発熱量などの関係で リミッターがかかっていて、かなりセーブされているので、 本来の性能が100%発揮されていないことが多いようです。