不老不死を目指してる研究者  2

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110遊び人の玲さん
意識というのは、感覚要素で構成されたイメージが、単に電気的にループしている現象。

これに対して、「自我像」(自分と感じているアイデンテティティ感覚を生み出している存在)というのは、
自分と思っている「人格の型」からリアルタイムで生成されている、非常に不安定で、他者に依存したもの。

ある一人の30代の男性Aさんを例に取ろう。
友人と会話をするシチュエーションでは「俺は」と言い、上司と話すときは「私は」と言う。
家に帰ったら「お父さんは」と喋っていて、
シチュエーションに合わせて、話し方も振る舞いもまるで違っているの観察できる。
Aさんは、社会的役割に応じて、「俺」「私」「お父さん」を使い分けて演じている。

もちろん、その全てがAさんなのだが、彼が自分と思っている存在は、
じつは、他の人の振る舞いを見て学習した、行動の社会様式、つまり他者由来のものである。
「俺」「私」「お父さん」と口にする言語も、行動も、全て他人からもらったものを、
シチュエーションに合わせて用いている、いわば仮面にすぎない。

人格のことをペルソナと言い、この言葉の原意は「仮面」なのだが、
一般に人は、「俺」「私」「お父さん」といった、
幾つものシチュエーションに合わせた仮面を、自分と信じて行動している。

仮面には行動様式の型が存在し、これを人格のマトリックス(母型)と呼ぶ。
人格のマトリックスは、物真似が上手い人によって、綺麗にコピーされることがある。
コンピュータなり他人にコピーしてしまえば、自分をコピーしたことになる。
111オーバーテクナナシー:2007/02/03(土) 12:41:06 ID:qG8Eeh5W
生命が死ぬは自然の摂理だ。
112遊び人の玲さん:2007/02/03(土) 12:41:33 ID:2SeJEiOQ
トランス状態の人が人格のマトリックスをコピーすると、憑依という自己催眠に近い精神状態に移行する。
昔の人は、ここから「魂」などのバーチャルなものをイメージしたわけだが、
実際には、これは行動様式の型にすぎない。
ライフスタイルと言ってもいい。

どうして、人格やアイデンティティを巡る精神活動の話が、
行動の様式=ライフスタイルに帰結するかというと、
人間も含めて動物の脳は基本的に、随意筋を動かして行動を制御することから出発しているからに他ならない。
人の精神活動の全ては、その原初的形態である、行動の様式というテーマに帰着する。

自分の人格のデータとは、行動様式に他ならないし、「俺」「私」「お父さん」といった、
人格のマトリックスということになる。

ある人が死んでもその魂(精神)が受け継がれていくとは、
行動と思考の様式が受け継がれていくことを意味する。
もちろん、気質などの要素もあるが、物真似や憑依は、そういったものもコピーして、
その人らしさを感じさせる演技をしている。