>>301 人間の精神は、目を閉じて心静かにしていると、
何も言葉を想起しない『無』の状態になるわけだけど、
その『無』からは、あらゆる思考を生み出すことが出来るんだよね。
たとえば、「鉛筆」という言葉を一つ想起すると、それによって『限定』という現象が起こる。
なんでもイメージできる『無』限の可能性が、言葉をイメージしたとたん有限のものになるんだよね。
「鉛筆」に続いて「赤い」という言葉を意識すれば、かなり限定されてくる。
こういった言葉に対して、人間は行動を結び付けようと発想するから、
「添削」とか「採点」といった、常識的に連想できる言葉はどんどん狭まっていく。
人間は外界に存在する対象を記述するとき、示差的特長によって対象を限定するしかない。
そして、その限定の方法が、ライフスタイルということになってくる。
純愛とSMの例が出されているけど、指摘されている連想(思考パターン)の違いは、
ライフスタイルの違いだし、その差には個性も含まれてくることになる。