>>270 遺伝子情報系は、人間にとってプリセットされた、
生存を支えるシステムが全てデータベースとしてストックしてある場所ですね。
遺伝子だけでは機能せず、生物の体と一体化した系として考える必要があるので、
遺伝子情報系という言葉が使われるようになってきています。
動物的本能ももちろんこれに含まれていますが、
人間の場合は、言語のヒアリング能力をどのように習得しつつ、脳の神経回路を発達させていくか、
母親は生後6ヶ月の赤ん坊に対して、どのような言葉を聞かせながらあやす行動を取る
必要があるのかなんて無意識に親が子に対して取る行動まで、
知的能力の獲得の過程が、緻密にプログラムされていることが分かってきています。
遺伝子情報系が持っている情報の中には、
このようなかなり高度な知的精神活動も含まれているので、
本能と簡単に片付けられなくなってきているのが現実です。
性欲なども本能と呼ばれますが、持って生まれた本能という言い方は不適切です。
赤ん坊が大人のような性欲を持って生まれてくるわけではありませんからね。
脳やからだの発達、心の成長と共に、段階を踏んで姿を現してくるものということになります。
つまり性欲は、従来考えられていたような、学習を必要としない動物的な本能ではなく、
脳が刺激(経験)を通して発達して、知的な学習の結果正しく発現するもののようです。
あまにも野生的な行動を取る、デリカシーのない男性は、女性に嫌われてしまうので、
未発達な動物的本能のままでは、ものの役に立たないことになります。
といった事情で、専門家の間で、本能という概念には非科学的な勘違いが多すぎるから、
別の言葉で言い換えようとする動きが生じた一時期がありました。
生得的真理という言葉は、本能という古臭い概念では、うまく表現できなくなってきた、
遺伝子情報系が持っているプリセットされたデータ全般を指すために使われているものです。
もちろん、人間的にものを考える機械を作るには、
本能の元になる思考パターンをプリセットするだけでは不十分で、
人を愛する心を自律的に生成するメカニズムなども、
散逸構造生物学の視点から、ちゃんとプリセットしておいてやる必要があります。
そういった生得的真理の連鎖は、
人手ではとうていプログラム出来ないほど、膨大になっていることも分かってきていて、
生物と同じように自己組織化させる方法、
つまりは、オートマチックに機械的に組み立てさせる研究が進められています。
オートマチックに生得的真理を生成させるには、
生命の進化をシミュレーションさせる必要があって、これまた大変な作業です。
その始まりは、海底熱水噴出口付近に存在しただろう、
マジックサーフェイス(魔法の表面)上に形成されたRNAワールドの筈ですが、
そこで、どのようにして、自己複製可能な触媒機能を持つRNAが形成されていったのか、
未だに真相が解き明かされていません。
仕方がないので、生命の作動原理などの構造を考えていく、散逸構造生物学の視点から、
憶測だけで、群論を用いて初期状態の散逸構造を組み上げているのが現状です。
難解な途中の過程をすっぽかして、ズルをした近似的解決法ですね。
遺伝子情報系が持っている、人間の生存の様式、いわゆるライフスタイルに関するデータは、
脳の神経回路網の形で展開されて、人間の意識上からは、集合的無意識(本能)として、
認められる存在になっています。
無意識のうちに作動する、予めプリセットされた行動パターンの数を、
一個二個と数えながら観察していくと、それこそとんでもない数になってしまいます。
人を愛する心なんて、他の要素(イメージ)と非常に複雑に絡んでいます。
たとえば、男性はたいてい目鼻立ちが整った美人の女性が好きですよね。
どうしてそうなっているかというと、目鼻立ちが整っているということは、
十分な栄養状態の家庭で、正常にスクスクと育ってきたことを意味し、
それだけ優れた遺伝的・文化的ライフスタイルを持っていることが期待できます。
そういう女性と結婚すれば、自分の子供をうまく育ててくれる可能性が高いわけで、
豊かな家庭を築くことを無意識に感じ取って、
美人の女性がもてはやされる風潮が生まれてきているようです。
同じように、男性が胸の大きい女性を好む傾向があるのは、
女性の胸のサイズは、栄養状態が良ければどんどん大きくなる傾向があるからのようです。
つぎに、腰がくびれた女性は、未婚というメッセージを持っているので、配偶者探しにおいて・・・
・・・というわけで、性欲は単純な動物的本能だ、なんてクラシックな概念ではとうてい片付かない
、
多岐に渡るイメージとの関わりを持っているのです。
問題は、人間にはなかなか意識出来ないような理由で、無意識のうちに、
人を愛する心が、相手の女性が持つ何らかの性的魅力(アピールポイント)と
関連していることだったある点です。
意識出来ない要素まで全てを、人の手で発見して、プログラムとして組んで、
人を愛する心を組み上げるのは、とうてい無理ということになってきます。
そこで、人を愛する心を自己組織化させるシステムを組む必要があると考えた人々がいます。
ここで、群論が非常に大きな意味を持ってきます。
西洋での婚姻のタブーは、家庭内の近親結婚程度なので、非常に分かりやすくて単純ですが、
オーストラリアの原住民アボリジニー達の婚姻に関するタブー、
つまり、結婚できる相手か出来ない相手かを決める社会的風習は、
西洋世界の常識では、考えられないほど複雑なものになっています。
これに興味を抱いた文化人類学者が、群論の手法を用いると説明できることに気づいてから、
生存の様式を分析する数学的手法として、広く使われるようになっていったようです。
男女の関係は、言ってみれば、「相反するものでありながら一つのもの」なんですね。
男と女は、性という次元で見れば雄と雌という相反するものでありながら、
それより一つ高い階梯の人という次元で見ると、同じ人間という範疇に含まれます。
これは、単純化すると、正・反・合の関係です。
西洋風にヘーゲルの哲学由来のカタカナ言葉で表現すると、テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ、
古代ヘブライ(ユダヤ)民族が伝える哲学では、
上昇と下降という相反する動きを意味する正三角形を一つに重ねて束ねた、ダビデの星が有名で、
イスラエルの国旗として採用されていますね。
この「相反するものでありながら一つのものである」という思考パターンの雛形は、
遺伝子が、一対になっていながら一つに組み合わさっている構造に由来しています。
相反する一対の遺伝子は、精子と卵子として二つに分かれて旅をし、
受精によって再び一つになることで、新たな個体を生み出しています。
これまでの観察してきたことから、何が言いたいかというと、
人間の思考や行動のパターン、人を愛する心といったものは、
非常に複雑で多岐に渡るイメージと関係しているように見えても、
じつは、「相反するものでありながら一つのもの」といった、きわめてシンプルな、
遺伝子情報系の中に認められる演算のパターンをベースに組みあがっているということです。
男女の結び付きだけでなく、哲学的な思考などの次元にすら姿を現していますね。
ユダヤ教の唯一神ヤーヴェの名前の意味は、「我は常に生成する者なり」のようですが、
生成とは、新しい個体を生み出す生命原理を意味し、
「相反するものでありながら一つのもの」から、
人を含めてあらゆるものは生成されるという哲学が、
ダビデの星に象徴的な図形となって表現されていると思われます。
このような、生命の階梯の次元を超えて働いている、生存の様式の規則的な構造化のパターンを、
群論を用いて観察することで、生物の体だけでなく、
意識上から直接観察できない、無意識の世界の奥深くに存在する精神の構造なども、
かなり明確に推測することが出来るようになってきているのです。
散逸構造生物学では、こういった単純な構造から複雑な構造が生成されていく過程を、
自己組織化のシミュレーションを通して観察しますが、
人間の心の、意識できない構造をオートマチックに形成するのに役立てることが出来ます。
幾つかの基本的な項目をプリセットしておいて、
生存にとって有利な条件を備えた、適当な配偶者を選択する課題を与えてやることで、
「背が高いたくましい男性が好き」といった、幾つかの示差的特長のイメージで構成された、
人を愛する心を、自律的に生成させることを考えます。
ところが、こうして単純な構造化の規則性から、
複雑な心理を組み上げる自己組織化の手法を用いても、
生得的真理のデータベースの全てを解明することは不可能だと考える人が増えてきて、
新たな工夫が考えられています。