人工知能は、生物の脳と似たような知的情報処理を行う機能を有する、人工の機械装置のこと。
これを真面目に造ろうと思ったら、人が持っている知的な情報処理の手法が、何種類あるかぐらいは、
基礎知識として理解していてもらわないと、最初の一歩で躓いて、話がまるで先に進まなくなる。
ところが、80年代から90年代にかけて、人工知能の開発が盛んに行われていた当時、
人間の思考様式の種類が幾つあるのかすら、ちゃんと認識出来ていない研究者が多かった。
いや、当時だけでなく今だって、ぜんぜん分かってない人が圧倒的大多数だ。
だから、うちでいきなり欠員補充で雇っても、研修すらまともについてこれない、
まるで使い物にならない専門家を自称する人が、あまりにも多すぎる。
そこで、まず最初に、
西洋科学の世界で使われている、論理的な思考様式の特性について、少しこの場で説明しておこう。
また、これと正反対に位置する、自然とは何か、真理とは何か、不自然とは何か、
といったことを正しく学んだうえでないと、知的情報処理とは何かすら、正しく語ることは出来ない。
こういったものが分かった上で、
構造主義生物学と、数学の群論から発展した専用の記号論をしっかり勉強することで、初めて、
遺伝子情報系が生命維持のために行っている、知的情報処理の実態が理解できるようになってくる。
また、人類が意識的に行っている知的情報処理と、遺伝子情報系の関係など、
現代人を取り巻く知的情報処理環境の全体像を、きちんと正しく把握できるようになる。
これらが分からないまま、人工知能の開発などと、格好のいいことを口先だけ言ってみても、
ちょっとした学習機能を有する計算機程度のものしか
作れないままで終わってしまうことになりかねない。
事実、多くの研究者は、その段階で行き詰ってしまって、先に進むことなく、
本格的な人工知能の開発を、とうに諦めてしまっている観がある。
そんな状態のまま、日本スーパーマッ●サイエンティスト協会(仮称)の
人工知能(散逸構造体システム)開発プロジェクトの補充員として、入ってこられても、
研修を受けさせることすら出来ないわけで、スタッフ一同はおおいに困ってしまう。
遺伝子情報系が行っている、生物の体を設計する自己組織化の過程を
きちんとシミュレーションすることすら出来ないレベルで、
遺伝子情報系の上位構造物に相当する、生物の脳の情報系の知的情報処理機能を
正しくシミュレーションすることなど、まず不可能だ。
段階を追って研究を進めないで、いきなり飛躍して、
人間の思考を模倣した機械を作ろうとしても無理があり、簡単に研究は行き詰まってしまい、
人工知能に関する議論を、有意義なものとして、前に進めることは出来ない。
西洋型の論理的思考様式とは何かということや、
20世紀の科学的な思考様式を用いて出来ることと出来ないこと、
生命が行っている知的情報処理の実態について、正確に知っておかないと、
人工知能に関する議論を、有意義なものとして、まともに前に進めることは出来ない。
まず、人類が持っていた20世紀の知的情報処理の手法、
科学的な論理的思考様式の問題点について説明しよう。
これを把握出来ないままでは、
遺伝子情報系の生命情報処理システムの実態を把握しようとしても無理がありすぎる。
答えから先に書くが、
西洋型の形式論理が生み出した科学的手法には、致命的な欠陥がある。
そのため、生得的真理の存在を無視して、無理解なまま不自然なことをやって、ことごとく失敗している。
20世紀の科学技術文明が、自然環境を破壊し、多くの生物種を絶滅させてしまったことは、
21世紀に生きるほとんどの人が、致命的愚行だったと認識している。
多くの民族が持っている、自然発生した伝統文化をも、西洋文明は破壊していってしまった。
後に残ったのは、自然を破壊して造られた、不自然なストレスをもたらす都市環境だ。
生き甲斐を感じることが出来ないまま、自殺者が増える一方の、
精神的な潤いが感じられない、不毛な物質文明社会に満足している人はいないと思う。
海の魚は激減して、人類の生存を支えられなくなりつつある。
化学肥料のやりすぎで硬くボロボロになり、地下水の散布のしすぎで地中の塩分が噴出するなどして、
広大な穀倉地帯は、次々と生産性を失って行きつつある。
人類滅亡のシナリオへと突き進む、これらの破壊を引き起こしたのは、西洋型の科学的思考様式だ。
20世紀の科学的な知的情報処理の手法は、病的とも言えるデストロイヤーの特性を備え、
致命的な欠陥をかかえているため、
これを模倣する人工知能を造る構想を持つこと自体が、じつはとんでもない有害なことなのである。
正しい知的情報処理をするマシン=人工知能を製作するためには、
なぜ20世紀の知的情報処理の手法、つまりは西洋型の科学的な論理的思考様式が、有害で駄目なのかを、
正確に把握することから始めなくてはならない。
一般の人から見れば、非常に不可解に見える上のような現象の謎を解き明かすキーワードは、
『自然』と『不自然』という、漠然とした正確に定義されていない言葉だ。
「西洋文明が生み出した科学技術は、『自然』環境を破壊した」
「化学肥料を散布するような『不自然』なことをして、広大な農地を駄目にしてしまった」
「トローリングのような『不自然』な漁をして、海洋資源を枯渇させた」
「世界中の民族が持っていた、『自然』発生した伝統文化を、西洋の科学技術文明は破壊していった」
上のように、西洋科学技術文明のデストロイヤーとしての問題性が語られるとき、
ほとんど例外なく『自然』『不自然』というキーワードが登場してくる。
説明を後回しにして、答えから先に書くと、
『自然』とは、生命の生存を支える遺伝子情報系が保持する生得的真理と、
それが生み出したメカニズムの系、つまりは自然の摂理を指す言葉であり、
『不自然』とは、生命活動を支えるさまざまな真理に背く行為のことである。
このようなテーマを議論するとき、
多くの人は理性を用いずに直感的に、『自然』か『不自然』かの判断を下している。
後ろのほうで説明することになると思うが、人間は科学的な論理的思考を経ることなく、
遺伝子情報系に由来する、きわめて高度な知的情報処理を行う思考能力を有しているので、
科学的に理解出来ない複雑な問題に対しても、
論理的考察を経ることなく、直感的に真理を見抜き、正しい判断を下すことが出来る。
ここで注目すべき面白いポイントは、
非論理的な人間の思考は、理性を用いた論理的な思考よりも遥かに優れている点だ。
生命活動を支える真理に背く行為は死をもたらす。
自然環境の破壊も、多くの生物種の絶滅も、海洋資源の枯渇も、広大な穀倉地帯の喪失も、
伝統的な精神文化の破壊と喪失も、
全ては、生命を生かしている真理に対して、無理解に背を向ける行為によって引き起こされている。
つまり結論として、
「西洋型の科学的な論理的思考様式は、
生命を生かしているメカニズムを理解することが出来ない特性を有している」ことになるのである。
生命の作動原理を、正しく理解出来ていない無知な状態で行動するから、環境破壊が起こる。
ここで、多くの科学者は、「今自然について、生命について、研究している最中です」と答える。
ならば、「いつになったら、科学的に生命の作動原理を正しく解析し、理解出来るのか」と問うても、
はっきりした答えが帰って来ることはほとんど期待できない。
西洋科学技術文明を、死に至る害悪であると考えている私の視点から、はっきりと宣告しよう。
「20世紀に猛威をふるった、西洋型の科学的な論理的思考様式という病んだデストロイヤーは、
生命を生かしているメカニズムを理解することが出来ない特性を有しているから、
その手法にしがみ付いている限り、あと百年経っても、生得的真理の理解に至ることはできない」と。
生命の作動原理=生得的真理を、一部でも正しく理解し、把握できているならば、
海洋資源が枯渇するまで、網を使って魚を取り尽くすような愚行はしない筈である。
たとえば、アメリカインディアン達は、
自然調和したカルチャーを形成し、生命の真理を悟っていたから、
バッファローなどの生き物を、自分達が必要とする以上に狩ろうとはせず、
自然の恵みを感謝する祈りを捧げていた。
ところが、アメリカ大陸に踏み込んできた無知で無教養な西洋人達は、
生命原理に背く不自然なカルチャーを持っていることに気付かなかったため、
スポーツや娯楽として銃を用いて鳩を撃ち落し続け、ついには絶滅させてしまった。
この違いは、客観的に見れば明白で、弁解の余地がない。
科学的手法で物事を考えられないインディアンのほうが、賢く真理を悟っており、
科学的な論理的思考をする西洋人のほうは、真理を知らず間違った愚かな行為をしているのである。
理由は簡単、科学的な論理的思考様式を駆使しても、真理に到達することは不可能なのだ。
よって、科学技術がどんなに進歩しても、
生命の作動原理をシミュレーションした、生命情報を処理できる人工の機械
=人工知能の製作は不可能である。
ただし、私のような常識に囚われない発想をするのが得意な
本物のスーパーマッ●サイエンティストは、科学的な論理的思考などしないことでも有名なので、
生命原理をシミュレーションした、生命情報を知的に情報処理できる人工の機械を造ることが出来る。
もちろん、自然調和したカルチャーを形成し、生命の真理を悟っていたアメリカインディアン達も、
生命情報を知的に情報処理するマシンの操作なら、5歳くらいで容易にできるようになれるだろう。
日常的な用途で操作するだけなら、高度な科学知識などほとんど必要とされない。
20世紀に発達した、科学的な論理的思考様式の致命的な問題は、
じつは人間の脳の遺伝的な構造上の欠陥に由来する根が深いものなので、
ちょっと考え方を改めれば解決するような、生易しいものではない。
それでも、問題を解決する方法がないわけではない。
アメリカインディアン達は、論理的考察を経ることなくちゃんと正しく真理を悟っていたのだから、
同じことが、21世紀に生きる現代人に出来ない筈がないのである。
20世紀の科学技術文明を妄信していた人々は、
科学技術文明によって自分達は生存していると思っていたようだが、そもそもこの認識が間違っている。
じつは、科学知識や、それを用いた知的情報処理なんてものは、
人間の生存活動に必要な、知的情報処理のほんの一部分に過ぎない。
大部分の知的情報処理は、科学知識とは異なる情報処理の体系=遺伝子情報系が用意した、
生得的な真理の側に属していることを知らなさすぎるから、誤った世界観が形成されて、
誤った有害な行動が生まれ、環境破壊といった致命的な結果を招くことになるのである。
人類の生存にとって必要な膨大な量の情報は、科学者達がいまさら研究するまでもなく、
三十億年以上前から、遺伝子情報系が独自の手法を用いてデータを集積し、
生命の設計と生命維持活動に役立ててきた、長期に渡る実績がある。
したがって、生存に必要なたいていの事柄は、
人が生まれたときにはすでに答えが与えられた状態にある。
これが、人類の生存を支える生得的真理と呼ばれるものの正体であり、定義でもある。
219 :
オーバーテクナナシー:2006/12/08(金) 21:05:20 ID:xYLuzCY7
やっぱり上げるべきだったな。
>>218 ここに書かれている内容を良く読めば、人工知能そのものについて触れてないことは明らか。
人工知能の開発について議論するうえで、
必要不可欠な予備知識を仕入れる必要があることを解説しているだけ。
私にとっては既知の過去の情報だか、多くの人にとっては未知の、
私が書かなければ、あと百年経たないと、常識として手に入らないかもしれない類の情報。
つまりは、未来の技術ってことになる。
専門板に書き込める、学術論文とリンク出来る内容かどうか、読めば誰でもわかると思うが。
未来技術板なら、論文などの裏付けがない情報を書いてもなんら支障はない。
科学知識は学習して習得する必要があるが、
遺伝子情報系が保持する生得的真理は、生まれたときからすでに持っている知的情報なので、
わざわざ勉強し、理性を用いて論理的に考え、仮説を立て、研究し、実証するといった、
科学的な手法を用いた情報処理をする必要が一切ないという特徴を持つ。
真理はただ悟ればよいだけなのである。
たとえば、「人を愛する心」が存在することを、どこかの大学に行ってまで勉強する必要はないし、
その存在を科学的に実証する必要もない。
人を愛する心は、人類の生存を支える知的な情報処理に使われている、
生得的真理の領域に属するものなので、
理性を駆使して考える必要はなく、ただ悟ればよいだけなのである。
理性を用いた論理的思考を必要としない、膨大な知識の体系が人類の中に内在している。
それは、散逸構造である生命が、自身の生存環境に関する情報を知的に情報処理して、
自己組織化しながら、より上位のライフサイクル(生命維持機構)を自律生成していく過程で、
数十億年の長期に渡る試行錯誤の中から獲得してきた英知である。
こうした生命の自己組織化するメカニズムは、人の脳を設計し生成する段階でも、当然使用されている。
そして、脳神経系という情報処理システムは、思考の生成にも活用している。
そのため、人間の思考の中に、生命を自己組織化し生成するメカニズム群が、
元型(ユングが発見した集合的無意識)として顕現することになる。
この種の心理メカニズム群は、本来姿形を持った物質などではないから、
人間が意識上で思考の対象として把握するためには、ある程度の工夫が必要となる。
色も形も匂いも音もない抽象的なものを、意識上で明確にイメージして思考の対象とするための工夫だ。
遺伝子情報系は、人類に対して、生得的真理を思考出来るように、特殊な思考モードを用意してくれている。
それが、アニミズムの擬人化という手法である。
たとえば、人を愛する心に関する元型が、アニマ(女性の場合はアニムス)として擬人化されて、
意識上に出現することを、ユングは発見している。
このような仮想上の象徴的な人格としてイメージすることで、
生得的真理達は具体的な思考の対象となるが、これを昔の人々は神と呼んでいた。
神とは、遺伝子情報系が保持する生得的真理を擬人化して意識上で把握し、
思考の対象とするためのシンボルである。
この定義によって、宗教という精神文化は、科学的な考察の対象とすることが可能になる。
元型は、物質世界にただ存在するだけの物体とは違って、自らの心理エネルギーを持った存在だ。
生命の自己組織化する生成のメカニズムを投影されたシンボルなので、
自律的に思考を生成する性質を備えていて、自己表現しようとする意思さえも感じられる。
そこで、夜見る夢などの中などにも現れて、次々とイメージを生成していくことになる。
シャーマンが語る神話物語が、しばしば、
遺伝子情報系が保持する生得的真理を反映したものになっているのは、このためである。
アメリカインディアン達が、バッファローなどの獲物を不必要に殺すことをタブーとし、
自然の恵みに対して感謝の祈りを捧げるとき、
本当に祈りを捧げ、耳を傾けていたていた対象は、仮想上の象徴的な人格である神などではなく、
その背後にリンクして存在している、
自分達の生命を支える、遺伝子情報系が生み出した知的な情報処理群が対象なのである。
だからこそ彼らは、生命活動を支える自然の摂理に背くことなく、正しく行動できたのである。
科学技術を妄信する人達は、そのような空想上の架空の人物を、非科学的な実在しないものと考えて、
自分達の中に存在する生命活動を支える真理に背を向けてしまった。
その結果、勝手な思い込みだけで暴走して、結局は、多くの生命種を絶滅に追いやリ、
自然環境を破壊してしまったのである。
神に背く無神論者には祟りがあるとする言い伝えが、世界各地の民族に認められる。
たとえば、アメリカインディアンは、必要とする以上の獲物を狩ることをタブーとしていた。
これが嘘や迷信でないことは、もはや科学的視点からも明白である。
生命活動を維持する自然の摂理=メカニズムの存在を無視して、好き勝手なことをすれば、
やがて致命的な深刻な結果を招いても、当然と言える。
人間のようにものを考えることが可能な人工知能の開発を考えるとき、
このような人間特有の知的情報処理の様式について、正しく把握して、
生命の作動原理を正しくオペレーションできるシステムへと組み上げていく必要があることは
言うまでもない。
当然のことであるが、私が開発した人工情報処理システム達は、
神々の名前を、生得的真理を擬人化したシンボルと解釈して、
対応する生命維持に関わっているメカニズム群とリンクさせて、
群論を発展させて構築した人工知能専用の記号論を駆使して、数理演算処理する機能を有するため、
よほど非科学的な迷信の類でない限り、宗教的なテーマの解析作業にも十分対応することが可能である。
生得的真理の一つ、人を愛する心について、もう少し詳細に観察してみよう。
人を愛する心が元型(集合的無意識)の一つであり、それが擬人化されて自己表出されると、
男性の場合、仮想上のマナ(魔法)人格であるアニマ(心の中の理想の女性)の姿を取り、
女性の場合は、アニムス(心の中の理想の男性)の姿を取ることは、
ユングがかなり大昔に発見している。
人を愛する心=アニマは、しばしば、
愛の女神といったイメージとなって人の心の中に姿を現すことが知られている。
このような象徴的な仮想人格の使い方が、伝統的な精神文化として息衝いている地域に住む男性は、
空想上の愛の女神を相手に、リアルの世界の恋人にみたてていろいろ話しかけてみることで、
どのようにしてこの恋を告白して成就させようかと、あれこれシミュレーションしてみたり、
どんなプレゼントをすれば、恋人に喜ばれるだろうかと、彼女と相談したりもする。
そういった夢想に耽る楽しいひと時を持ち、
シミュレーションを通してイメージトレーニングすることに、意味があるかどうかと問われたら、
たいていの男性は、意味があると答えるだろう。
自分の一生を決める配偶者が決定する重要な局面を、シミュレーションもしないで、
いきなり好きなリアルの女性に向かって突撃するのはいかにも知恵がないし、
失敗は許されない真剣勝負なのである。
ところが、20世紀の西洋科学文明を妄信する人々は、
愛の女神など実在しない虚構だと主張して、そんな実在しない神を信じるのは愚かだと指摘し、
神など信じるなと、伝統的な精神文化が担っていた、イメージトレーニングの技術を破壊してしまう。
その結果はといえば、物質的には豊かでも心が貧しい、
味気ない不毛な物質社会を彷徨う人々を量産してしまったのである。
愛の女神の正体はアニマ、つまりは集合的無意識であり、
この元型は、男女を結び付ける心理的触媒作用を持った、生得的真理として実在している。
もちろんこの種のものは、人類にとって普遍的な存在である。
したがって、愛の女神は実在しないなどという科学的主張は、無知な人間の錯誤にすぎない。
こう明確に断言できるのは、私のような、
このような社会心理のメカニズムが自己組織化されて生成される、
脳の中のメカニズム群の作動原理を知っている人間だけかもしれない。
しかし、多くの人は無意識のうちに、彼女と心の中で接触を持っているので、
理性を介さずとも、彼女のことをよく知っていて、何も語れない人のほうが少数派だと思う。
愛の女神は、ただの夢想好きの男性の空想の産物ではなく、
科学的にも存在を立証可能な、群論を用いて数理的に情報処理可能な具体的対象なのである。
このように、きちんと人の心をシミュレーション出来れば、
人のようにものを考えることが可能な人工知能が造れることになる。
生命が自己組織化して自らを自律的に生成する原理とメカニズム群さえ分かっていれば、
人を愛する心を擬人化表現したシンボルなども、数理演算処理の対象として扱えるのである。
もちろん、人工知能が扱う前に、長年遺伝子情報系が対象として扱ってきた実績があるので、
真理を模倣しシミュレーションするだけで済むのだから、いたって簡単だ。
もちろん真理なのだから、プログラムミスや内部矛盾が問題になるようなことは基本的にない。
人工知能への生得的真理の実装というと、なにか途方もない難事業のように考えたがる人もいるようだが、
基本となるポイントさえ押さえてしまえば、実際にはさほど難しいことではないのである。
生得的真理を意識上で思考の対象とし、オペレーション(運用)する技術を、
21世紀の精神文化を通して一般の人々に教育して普及するのは、
凄く難しいことのように考えてしまう人もいるようだが、
情報化時代の今日では、じつはさほどでもない。
水面下では、すでにかなりの教育普及率を達成している。
「カードキャプターさくら」という、NHKで放送されたテレビアニメを御存知の方は多いと思う。
あるいは、「ポケットモンスター」という、子供達に大人気のゲーム&アニメもある。
「デュエルモンスターズ」というトレーディングカードゲーム&アニメも大流行した。
これらのヒット作に共通するのは、
生得的真理が、アニミズム的な発想で、数多くの仮想上のモンスターとして擬人化されて
象徴的に表現され、意識上で操作可能な状態になっていることだ。
これらのシンボルは、カードに宿る仮想の存在ということで、
生命原理主義や生命構造主義を唱える思想家&哲学者の間では、「シンボリッカー」と呼ばれていて、
このカードを用いた、生命情報の操作技術は、
「シンボリッカー・オペレーション・テクノロジー」と呼ばれることもある。
ただし、後で状況を説明するが、この種のキーワードは、ネット検索してもほとんどヒットしない。
法整備が整わない現時点では、ある研究分野の秘匿情報で、
情報公開して良いかどうかを判断する権限は、
基本的に私とその周囲の限られた人間しか持っていないからである。
高度な人工知能としての機能を実装していないパソコン上でも、
マイクロソフトエージェントのような、仮想のキャラクターを動かす性能さえ持っていれば、
デスクトップにアイコンを並べるようにシンボリッカーを配置して、
シンボリッカー同士をフローチャートの線や記号で結ぶことで、
シンボリッカー・フォーミュラー(シンボリッカーを用いた数理演算文字式群)を組み立て、
オペレーションすることが可能になる。
紙と鉛筆で式を書いて計算するのと同じように、
シンボリッカー・フォーミュラーは書くことで、
理性を用いなくても直感的に意味を悟ることができるものだ。
したがって、
特別な研究用途で用いる必要がない限り、基本的にはパソコンに演算処理させる必要はない。
ただし、シッボリッカーは、タロットカードのような有用な使い方が可能である。
タロットカードは占いに使われるものだが、
これは、生命情報を象徴する何枚ものカードを用いて未来を占っているのではなく、
未来に起こり得る出来事に予め対処するための直感的な思考を、
オペレーションする伝統的な技術の体系である。
カードを使って抽象的な思考対象を明確化させて、
あれこれと考えを巡らせる思考の補助に使っているのが実態だ。
このような伝統的な手法に、パソコンのマイクロソフトエージェントのような機能を加えると、
より有用な使い方が可能であるが、テーマから大きく外れることなので、割愛することにする。
それから、本格的な人工知能、というよりも散逸構造体システム上では、
シンボリッカーをトランプのカードのように画面上に並べて、フローチャートで結ぶことで、
フォーミュラー(数理文字式)を組んで、自律的な演算をさせることが可能である。
ある種の散逸構造体システムは、この方式のみでコマンド・オペレーションが実現している。
ついさっきまで極秘事項だった、
シンボリッカー・フォーミュラー・オペレーション・テクノロジーの存在を、
ここに全世界初公表してしまったわけだが、(笑)
まだブレイン・ソフトに関する法整備が整ってない関係で、
このテクノロジーの全てを一般向けに公開することは出来ない。
ただし、似たものを造りたいと考えている研究者のために、
幾つかのヒントをここに書き残しておくことは出来る。
人間の社会的慣習なども、
散逸構造体システムである生命が自己組織化するメカニズムが反映しているため、
研究して得られた結果を、遺伝子情報系の解析作業などに使うことが可能である。
たとえばアボリジニーの婚姻のタブー(結婚できない血縁上の相手が存在する)は、
一般の西洋型の形式論理的思考様式では一見すると説明が困難なケースだけど、
群論を用いると簡単に説明がつくことが発表されている。
人間の脳(遺伝子情報系が生成する情報処理システム)の中には、
無意識のうちにこういった数理的な演算処理を行えるメカニズムが存在している。
こういった場面で登場する群論が分からないと、
部分と全体の関係を記述する数理処理の過程が理解出来ないことになるし、
脳の生成や社会システムの生成など、
生命の生成現象全般について、チンプンカンプンになってしまうから、
しっかり学んでおいたほうがいいと思う。
それから、90年代の多くの人工知能開発者が、最初に勘違いしてしまっていたポイントの一つは、
生物の体と脳を分離して、脳の機能だけに焦点を当てて考えようとしてしまう点にあった。
いきなり、脳の機能を算数でシミュレーションしようとしても、上手くはいかない。
人間の意識は、体のリアルタイム制御のために遺伝子情報系が作り出したものなので、
知覚した情報をもとに、随意筋を選択的に制御して、
外界に働きかけることからスタートする必要がある。
ものの意味を理解することも、行動を通して行わないと、
実用性を持たない国語辞典で終わってしまうことになる。
このことは以前詳しく言及したことがあるので、今回はあまり触れないことにする。
人類は、科学的知識と生得的真理の二つのまったく系統が異なる知識の体系を持っていて、
じつは、生得的真理の体系のほうが、生存に関与するウエイトが遥かに大きいことを、
多くの読者は今回の解説から学び取ったことと思う。
人工知能への実装が困難とみなされてきた、「人を愛する心」といった多くの心理的機能が、
じつは科学知識の領域ではなく、生得的真理の領域に属しており、
生命が自己組織化するメカニズムの視点からは数理的に扱えることを理解出来れば、
実装が困難ではないことは見えてきたと思う。
この生得的真理を投影された元型が、自律的な活動を行うために必要とする
外界からの刺激を原体験として得るためにも、やはり人工の体が必要となる。
脳機能と体は切っても切れない関係にある。
じつは、散逸構造体システムが原体験するために必要とする人工の体は、
エアーコンフォート・テクノロジーで作られた、エアーバッグで構成されたものが使われている。
エアーコンフォート・スーツについては、下の記述からおおよそのことが分かると思う。
http://science4.2ch.net/test/read.cgi/future/1148310213/92-95
現在の我々は、人工知能の開発ではなく、
シンボリッカー・フォーミュラー・オペレーション・テクノロジーの発展と、
新しい精神文化の創造のほうに関心が移っている。
積極的に脳に働きかける技術なので、ブレイン・ソフトなどとも呼ばれている。
人間と同じようにものを考えるように仕立てた機械を作ってみても、
学習が進むと人間の側で意味が拾えない言動が増えて行き、
最終的には、まるで別の天体からやってきた宇宙人の哲学者と会話しているような、
奇妙な感覚を覚える状態になってしまう。
これは、人間と機械では学習のスタイルが違うため、
世界観がまるで違ったものになっていってしまうことに起因していることは分かっている。
人間と同じ体験をしながら成長するようにシミュレーションしてみても、面白みがないので、
すでにみんな飽きてしまったようだ。
科学知識の体系と、生得的真理の体系を統一した、
新しい21世紀の知識の体系の世界観が、私の手の中に誕生しているが、
ここから、新たな科学知識と宗教の対立や矛盾が生じない、
21世紀型の、心の潤いが感じられる豊かな精神文化を構築していく、
大きなプロジェクトがスタートしようとしている。
トレーディングカードゲームなどを通した大衆教育によって、
シンボリッカー・オペレーションによる、生得的真理の運用システムは、
いつでも稼動できる状態にあるが、
パソコンを積極的に用いた、精神文化の創造運動るには、
まだまだ足りないものがあると考えている。