科学的な視点から見れば、神は、象徴的な仮想の人格にすぎないのかもしれない。
ところが、そんな実在しない筈の神様や幽霊を幻視する、宗教的な体験が、
今よりも地磁気が強かった昔は、誰にでも日常的にできた、可能性が出てきた。
経頭蓋磁気刺激(TMS)という技法で、脳を刺激すると、
宗教的な幻覚などが発生する体験を、誰でもすることができる、
という研究報告が相次いでいる。
http://www.hotwired.co.jp/news/news/technology/story/20020423302.html 地磁気が強かった時代には、誰でもが日常的に宗教的な体験をして、
毎日神様や霊達の姿を見て生活していたとすると、
宗教は迷信ではなく、体験可能な現実だったことになる。
現在の宗教の衰退は、科学的知識の普及だけでなく、
地磁気が弱まって、人間の脳が磁気的な外乱を受ける機会が少なくなり、
宗教的な幻視体験などが、日常的なものではなくなったからだと考えれば、
宗教を巡る、全ての疑問が奇麗に解決してしまうように見える。
>>420 出雲系の古代神道と、磁気による脳の外乱に基づく宗教体験の関係について、
一通り順を追って丁寧に観察していくことで、神様の正体が明らかになってきます。
古代神道の世界では、神様は普段は天上に住んでいて、
落雷となって神名火山(かんなびやま)の磐座(いわくら)に降臨して宿ると、
古来から言い伝えられています。
神様が宿るとされている神名火山(甘南備山とも書く)の磐座(聖石)の多くは、
鉄分を多く含む花崗岩でできていることが知られています。
つまり、落雷の大電流によって、鉄分を多く含む花崗岩が強い磁気を帯び、
その磁気が人間の脳に外乱を及ぼすことで、様々な宗教的幻視体験が起こり、
神様が落雷とともに天から降臨するという、言い伝えが生まれて宗教が発生した、
と、順を追って、推理することができるわけです。
>>421 そのようにして、花崗岩の磐座などに降臨した神様は、
古来はその場で奉られていた様子ですが、
やがて、甘南備山の麓に社が作られるようになると、
そちらに運ばれて、お祭りの間じゅう奉られることになった様子です。
落雷による強磁気を帯びた聖石の前で、
トランス(変性意識)状態になりやすい女性=巫女さんが、神楽を舞うと、
神楽の仕草によって、聖石が形成する磁場の中で、脳の神経回路が動くたびに、
起電力が生じて、脳細胞に電流が流れ、思考が磁場によって外乱を受けます。
神楽の舞の動作のパターンが、
経頭蓋磁気刺激(TMS)という技法で、宗教的な体験が報告されているような、
基本アルゴリズムの磁気刺激と同等パターンの作用を及ぼすとき、
巫女さんは宗教的な体験を得て、神懸りの変性意識状態になり、
神様のお告げ、なる神秘的なものを、口走ることになるようです。
>>423 こうしてみると、
神道に言い伝えられている、落雷による神様の降臨、
その落雷個所にある石を、社に持ち帰ってお祭りし、
神楽を舞って、神様からのお告げを得るまでの神事全てが、
科学的にも説明が可能な現象で、
けっして、根も葉もない迷信ではないことが、明らかになってきました。
神様は、象徴的な仮想上の人格にすぎない空想物だとしても、
宗教的な瞑想や幻視体験を可能にする神事は、現実に体験可能なものだし、
そうした、非日常的な瞑想や幻視体験を通して、
脳が活性化された状態で閃いた、物事を解決するためのアイディアが、
為政者によって、巧みに活用されて、人々の生活を良くしていくことができるならば、
宗教を、役にも立たない非科学的な迷信と、蔑む必要はないことになります。
日本の神社の神様は、磁化した岩を拝んで神楽を舞い、
アイディアを御頂戴しない限り、御利益がない、ということになるのかもしれません。
もちろん、宗教の中には、
迷信的な言い伝えと、とそうでないものが混在しているので、
慎重に科学的に分析していく姿勢が大切なのは、言うまでもありません。