西洋型の論理的思考様式を用いても、自然の摂理と生得的真理を理解することが出来ない特性があるため、
自然調和した環境や、ライフスタイルを次々と破壊する結果を招いている。
自然の摂理に背いて自然環境を壊してきたということは、
科学的アプローチで得られた科学知識の体系はまだまだ不完全で、
人間の理性では、自然の摂理の全てが正しく理解できていないことを意味する。
したがって、現代人は分かったつもりになっているだけで、
生命と自然に関しては、論理的に説明ができていないことのほうが多いことになる。
しかし、人間には分からないものを、分からないもののまま扱う情報処理の技術が備わっている。
これを数学の世界では、代数と呼んでいる。
いわゆる、X Y Z などの文字を、分からない数値と見立てて式を組んで、X=Y+Z などとやる方法だ。
これと同じで、もっと複雑な対象、たとえば水の精霊なんてものも、
正体が分からないまま、記号化して情報処理する方法がある。
いわゆるアニミズム的発想で、擬人化したキャラクターというのは、
記号論上は、数学の代数と同じように、情報処理のために使われる分からないもの、なのである(笑)。
昔々とある村を訪れた旅人が、喉が渇いたと水を求めました。
村の子供達は、近くの小川の水を汲んできて旅人に飲ませたのですが、
なんと、旅人はその日の夜、熱を出して寝込んで死んでしまったのです。
村のシャーマンはその亡骸を火葬にしながら、こう言いました。
余所者に川の水など飲ませてはならない。水の精霊がお怒りになる。
これを聞いた村人達は、以降村を訪れる旅人には決して魔物が棲むと言われる小川の水を飲ませようとせず、
聖なる泉の水を与えるようになり、死者は出なくなりました。
めでたしめでたし。
この場合、小川にはいろんな生活排水が紛れ込んでいて、ちょっと悪い菌などがいるわけだが、
そんなことは昔の人には分からないから、数学の代数同様分からないもの X が何かあることにして、
その分からないものをアニミズム的発想で擬人化して、
邪悪な水の精霊が怒って悪さをしていると、分からないなりの理屈を作って、
その知識によって物事に対処していたことになる。
さて、科学技術文明が発達した今日では、そんな迷信必要ないかというと、
おっとどっこい、そうは行かない。
じつは、西洋型の論理的思考様式を用いても、
自然の摂理と生得的真理を理解することが出来ない特性があるせいで、
自然調和した環境や、ライフスタイルを次々と破壊する結果を招いている。
科学的アプローチで得られた科学知識の体系はまだまだ不完全で、
人間の理性では、自然の摂理の全てが正しく理解できていないことを意味する。
なると、自然の摂理を西洋型の論理思考で考える発想を捨てて、
自然の摂理をアニミズム的発想で擬人化して、
母なる大地の女神、なんてバーチャル・キャラクターをイメージする方法が、
今日でも、やっぱり必要になってくる。
もちろん、これは非科学的な発想や迷信の類ではなく、
数学の代数の考え方を拡張した、人工知能の開発などに用いられてきた、最新鋭の記号論を、
人間自身の思考をサポートする道具として使う、数理的な技術に他ならない。
こうして、神様を論理的に用いることで、
通常の科学知識や科学技術を用いて形式論理的に思考していても理解できない対象を、
いとも簡単に情報処理出来るようになる。
科学技術の世界には、近似的解決と呼ばれる、物事を処理する手法、考え方がある。
それは、科学が完全でない場合でも、実用上近似的に正しいと思われる方法で、
物事をうまく処理できることを意味している。
このような不完全性が、人工知能を取り囲む世界にはいくらでもあるのだが、
それらを処理するのに、バーチャル・キャラクターを用いれば、
厳密に形式論理的なプログラムなど組まなくても、
自然の摂理に即した行動の制御と、生得的真理に即したライフスタイルの構築が可能になる。
論理的発想を破るとは、
記号論的には、こういったバーチャル・キャラクターを用いた代数的処理のことを指す。
これで
>>861-863に対する回答になっただろうか。
この続きの議論は、人工知能スレでやったほうがいいかもしれない。
………………………………………。ここも、荒されてる。
何が在らされてるだか。
科学的な思考の限界を知ることは、このテーマを考える場合最も大切。
フリーエネルギーなんてものは、逆転の発想をしても開発出来ないから、
それを超える発想を求められる点で壁にぶつかる。
一休さんの禅問答みたいなものかな。
壁をぶち破る発想の方法を書いても、このスレの場合は、スレ違いとは言えない思うよ。
ま、嵐だと流布する非行を繰り返す粘着が現れたって話で終わりそうだね。
ゴミ撒きしすぎると、誰かさんのように、別荘に連れてかれるかもしれないよ。