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マドモアゼル名無しさん:
危成の関係での「飽きたり、冷めたりするのでは?」という不安の問題は、
つきつめると、自分自身の成長を自分自身で止めてしまう不安への
相手への投影でしょう。
金があればいいとか、家が建てばいいとか、子供ができればいいとか…。
こういうゴール設定は危成の関係においては、過程でしかないと思います。
終わりがない、無形の一体感っていうか、溶け合いたい気持ちを共有するならば、
それは一つに戻ろうとする気持ちだから、純粋で素直なものでしょう。
この世的な成功に走ると、いつも綱渡り的なつきあいになりますが、
お互いが純粋や素直を尊とうカップルならば、どんどん深く、一つになれる
組み合わせだと言われますよね。
こういうような関係を利用しないのは残念な事だという解釈をする書籍もありますね。
お互いの利益に走るとケンカが起こります。だって取り合いで、分け合いじゃないからね。
欠点を自分の正しさの為に指摘しあうならば、押しつけ会いで、上下関係が成立しないとダメだから、
師弟関係の危成と言われますけど、同格ならば、やっぱり素直や純粋な関係に向かうならば、
これほどシガラミが取れてゆく関係はないでしょう。
シガラミや業が危の本質で、それを削ぐ為に、出逢うのが因縁からみた出逢いだからで、
その結果、成に成るという、この世的な能力アップじゃなくって、シンプルに向かって、
本質の部分で幸福に成るっていう事を悟る時に、この縁は発生する転機の因縁が
絡んでいると言われます。私自身もそういう時に出逢っています。