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プシューップシューップシューッ:
唐の則天武后の時代、杭州の臨安県の薛震は人肉が大好物だった。
あるとき借金取りが従僕を従えてやってくると、言葉巧みに招き入れてしこたま
飲ませた挙げ句殺害し、遺体を水銀と共に煮て「人肉醤」をこしらえた。
彼は妻までも煮て食べようとしたために妻に訴えられ、棒打ちの刑で打ち殺された。
同時代、嶺南に陳元光という男が居た。宴会の最中、使用人の酒のつぎ方に
難癖をつけ、彼を殺した。そしてその肉を煮込み、客に「初物」と称して
振る舞った。客は人肉とはつゆ知らず、美味そうにつつく。最後に鍋の底から
両手が現れた。事の真相を知った客達は半狂乱になって吐き出した。
北宋時代、孝明皇后の異母弟の王継勲は素行不良のため官職を追われていた。
鬱々と日々を過ごすうち、使用人の肉を切り取って食べるのが楽しみとなった。
やがて彼は官職に復帰はしたものの正確はますます歪み、少年少女を買い取っては
奴隷にし、わずかな過失を言い立てては殺して煮て食べた。
太宗皇帝の即位後に民の訴えで悪事が露見し、本人も数百人の少年少女を殺して
食べたことを認めたために洛陽で斬首刑となった。