>>28 違う違う。それは従来的、解釈の誤り。
本当はこう。
他人との勝ち負けに関して言えば、
A型 :「勝気」(何としてでも勝とう(優位に立とう)とするイメージ)。
A型以外:「負け嫌い」(自己否定されるのを嫌うイメージ)。
「世の中の幸せの総量を増やすために今、われわれが考え直さなければならないことはなにか?」
日本人は、各血液型(特にB型・AB型)がバランスよく存在している。
それに対してたとえば、アメリカなど西洋の国では、BやABは極端に少なく、
それらの国では、Aは安心してOに引っ張られついて行くかたちで、参謀役に徹することが可能かつ容易。
ところが、BやABがかなりの(Aにとっての)対抗勢力として存在するわが国においては、AはそのBやABと争う形になってしまい、最大多数派のAが先頭に立って自分たちが居心地の良い環境を作ろうと躍起になるのだと思う。
そこで、本来、みなをまとめあげる能力に欠けるA型が前に出てきて無理に統率しようとして、ある意味、ごり押しする形になるのだと思う。
そこら辺が、日本の特殊性ということになろう。
要するに、世の中の集団による差別・いじめ問題の要因が、A型にあると考えているわけ。
キーワード一言で表せば「異質排除」ってことなんだけどね。
その点、A型に意識改革してもらいたいわけ。
そして、それがA型自身の解放にもなると俺は思っているわけね。
全体のわずか38%にしか過ぎないA型に、われわれお人よし軍団(B・O・AB)が
ペースを乱されるっていうのは、「最大多数の最大幸福」という観点からも、
おかしいと言わざるを得ない。
Aって、常に比較して、人を見下すことでしか自信を持てないようだ(これがA型流「プライド」の正体?今井美樹スマソ)。
通知表で言えば、「相対評価」。「絶対評価」はあり得ない?
要するに、自己完結していない。
<「世界に一つだけの花」>
「世界に一つだけの花」(人は人、自分は自分。人それぞれ)
一々他人と比べて、争うことに意味なし。
(NO1にこだわる意味はない。ONLY1で良し)
もっと言えば、
よその他人と比べてNO1(最高)になる必要はないが、
自分が自分に対して最高の賛辞を送れるだけのことをしているかを常にチェック
することこそ必要(内的最高)。
たとえば、
有森裕子選手の名言
「自分で自分を褒めてやりたい」
彼女は内的最高を目指した結果、外的最高をも勝ち得た。
これからの時代、他人を傷つけずかつ法律等に触れない限り、基本的に何をしても自由。
しかし、その分、自己責任の時代。
【こんなA型は嫌だ!】
・自分と他人を比較するのが大好き。
勝った時はくだらない優越感に浸り、負けた時はネチネチと妬む(本来「世界に一つだけの花」のはず)。
・他人の不幸が大好き。
他人の不幸を見て自分の幸せを実感する(「人の不幸は蜜の味」とはA型が最初に呟いた言葉)。
・表では善人のような顔をして、実は根回し上手で悪意がある偽善者(「自己保身命」)
A型(全体の38%)だけは「性悪説」が妥当?
・表面的な優しさはあるが本当の優しさはまったくない。
皮肉・当てこすり・ほめ殺しとなって現れることも多い。
・イメージに振り回されがちで本質を見る才能がない。
完全に舐めていた相手から実は舐められていたと後で気づかされる(「裸の王様」)
・ひとりでは何も出来ない。すぐに徒党を組みたがる。
例:群れの中からの遠吠えなど。
・自分と同類以外を非難・差別する。
自分が一番まともだと勘違いしている(実は一番おかしいと気づかない)。
・人を利用する(A型流)。
気に入らない奴がいると自分は手をくださず、他人に悪者役をやらせる(陰の黒幕)
・体裁が第一・見栄っ張り。
家庭内が険悪でも世間には家族の仲の良さを強調(見事なまでの猿芝居)。
世間から良く見られていれば安心(中身ガタガタでも「世間体命」)。
「(悪しき)建前社会」を作り出している要因=A型 にほかならない。
確かに、理想を掲げることは必要(「良い意味の建前」例:憲法や(正しい)法律など)。
しかし、「A型流の建前」は自己保身のための偽善にすぎない。
<真のストイック>
●真の思いやり(相手の立場にたってやる)
たとえば、自分と考え方は違うし、少数派かもしれないが、頑張っている人が
いれば、応援してやる(「弱気を助け、強気をくじく」=任侠) 。
●真の勇気(向上心をもって現状を脱皮して成長)
人のことがうらやましいと思うのなら、その相手を憎むのではなく、自分も一歩
踏み出して同じように幸せに達するように努力する。
●真の倫理観(人は見ていなくても神は見てるぞ!)
裏で実は結構いい加減なことをしていながら、本音と建前をズル賢く使い分けて
他人を非難して、自分だけ良い子になるような卑怯なまねをしない。
<血液型A型の病理面(例外もあり)>(真の思いやり・勇気・倫理観を!)
●とにかく臆病・神経質で気が小さいだけ(真の思いやり・倫理意識には欠けている。二言目には「世間」(「世間」と言っても、一部のA型を中心とした一部の人間の動向に過ぎない))。
●異常に他人を監視して、不合理な古いシキタリを押し付け、そこから少しでも外れる奴に対しては好戦的でファイト満々な態度をとり、かなりキモイ(偏狭・自己中心・硬直的でデリカシーがない)。
●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされるとカッと怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、内面的・実質的には負けていることが多い)。
●基本的に悲観主義でマイナス思考なため性格が鬱陶しい(根暗・陰気)。
●とにかく否定的でウザく、アラ探しだけは名人級(例え10の長所があってもホメルことをせず、たった1つのアラを見つけてはケナス)。
●社会的強者には平身低頭だが、社会的弱者に対しては八つ当たり等していじめる(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる(人が見ていないときは、より一層))。
●少数派の異質・異文化を理解しようとせず、あるいは理解を示さず排斥(多数派=正しい と信じて疑わない、了見が狭い差別主義者)。
●何でも「右へ習え」で単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)。そのくせ、集団によるいじめのリーダーとなり皆を先導する(陰湿かつ陰険で狡猾)。
●他人の悪口・陰口を非常に好むと同時に、自分は他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(自分がウソツキ(例:本音と建前の激しい使い分け)だから他人のことも容易に信用できない、ポーズだけで中身を伴っていない)。
●友人関係は、表面的な浅い付き合いでしかなく、心の友はおらず孤独(他人の痛みがわからず、包容力がなく、冷酷だから)。
●頭が硬く融通が利かないため、すぐにストレスを溜め、しかも短気で、すぐに爆発させる(不合理な馬鹿)。
●後で自分の誤りに気づいた場合でも、素直に謝れず強引に筋を通そうとし、コジツケの言い訳ばかりする(社会悪の根源、もう腹を切るしかないだろう!)。
●男は、女々しいまたは女の腐ったみたいな考え(例:「あいつより俺のほうが男前やのに、なんでやねん!(あいつの足を引っ張ってやる!!)」)。
みなと同じように我慢して合わさん奴
群れから抜きん出ようとする奴 に対して
一種のうらやましさからくる妬みの感情 が生じる
「ねたみは人間の最も卑しい品性である」
http://osaka.yomiuri.co.jp/new_feature/kokoro/jyuku06.htm 社会福祉法人「いのちの電話」の斎藤友紀雄事務局長は、「『いじめ』は
世界中で起きていますが、日本の場合、その一番大きな原因は、異質なも
のを認めないという精神文化に根ざしていると思います。偏差値教育や核
家族化によって孤独を強いられた子どもたちは、必死に自分の居場所を求
めるのですが、性格や能力が集団と調和しない子は、集団から排除されて
しまう。つまり、村意識が働いて、村八分にされてしまうのです」と語る。
<差別いじめをなくそう>
日本国憲法(国のあり方を定めた法)は、個人主義を定めています。
それは、戦前、全体主義だったわが国が、悲惨な戦争に突入し敗戦したと
いう苦い経験の反省に基づきます。
別にみなが一緒じゃなくてもいいでしょ?
みなが一緒じゃないと安心できない集団がいて、その集団が
異質分子を排斥しようとする。
要するに、とくに戦前はA型中心の集団主義が徹底してたわけ(全体主義)。
それが、悲惨な戦争の惨禍をもたらしたというわけだ。
そこで、戦後、新憲法は個人主義を定めた。
つまり、ダンゴ状態は良くない。できるだけ、個人がバラバラのほうが好ましいというわけ。
ノーベル賞級、青色発光ダイオードを発明した中村氏も、「エネルギーは分散しているほうが、
物質的には安定する」という物理のエントロピーの法則を引き合いに出して、本を書いてるよね。
A型は妬みきつくて、しかもイヤラシイ奴多い。
A型は一般的に欲が人並みに強い(AA型を除く?)
↓
ところが小心・神経質で自分の思い通り生きられない
↓
そこで他人を妬んで、足を引っ張ることをとやかく言う
あるいは、つまらんことでケチをつけて他人を見下すことで自己満足の優越感に浸る
日本は従来、このA型中心に文化・社会が形成されてきたという訳だ!
きもい&うっとうしい! (心当たりのある人は、改めましょう)
「大事なのは世間体であるべきだ!右にならうべきだ!俺はこんなに頑張ってるのに
うまくいかないのは□×△のせいであるべきだ!俺は信じてるのに裏切るのか!!
非常識だ!!俺の気持ちを察してくれるべきなのになんて酷いやつらだ!
A型マンセーマンセーマンセー!!!!!!!!!!!!!!!!!であるべきだ!」
本来的に気質的に(逡巡ばかりして)鈍臭く悔しいゆえに、他人を妬んで姑息な手段で妨害したり、すぐに足を引っ張る癖のあるA型を哀れに(いじらしく)思って、
みんなは無理して(気を使って)合わせてくれている(善良なA型自身も含め)のだから、
A型は、
みんなに感謝するのが当たり前であって、逆恨みするのは筋違いだよ!!
A型は仲間を作ろうとする時、自分と価値観やリズムが同じ人ばかりを引
き寄せて、波長の合わない人々を避けてしまう傾向があります。そこには、A型
の、周囲に波風を起こしたくない、できるだけ安定した環境を作っておきたい、と
いう思いが働くからです。そんな風にしているうちに、気がついてみたらA型ば
かりの集団になっていた、ということはよくあります。
価値観がある程度同じ方向に向かっていることは大切なことですが、あまり同じ
ような考えの人ばかりが集まることは危険です。和気合いあいのムードにすっ
かり慣れて、「井の中の蛙」になってしまう恐れがあるからです。
A型は、周囲と協調して現状を安定させたい面と、常に向上心を持って現状を
脱皮したい面の両方を、バランスよく保っていくことで、上手に成長していくので
す。
自分と違う考えの人は、衝突も激しく起こるけれど、自分に良い刺激を与え、視
野を広げることにもなるということを考えてみて下さい。
また、人間関係にもけじめをつけようとするA型は、お客と店員など、立場で態
度を大きく変えたりすることがありますが、行き過ぎれば、やはり好ましくない行
動表現に見えます。
うまくいく社会というのは、一部の新しい意見を言うべき優れた人間と、その意見に
素直に従い忠実に遂行する凡人のバランスが必要なのではないでしょうか。そういった意味で
能力的には平凡なA型が多い社会はバランス的にうまくいくんだと思いますよ。A型の方々の
自己賛美の浅はかな点は、自分の上の人の考えに対し、何の疑問も挟まず、ただ言うとおりに
ミスなくこつこつと遂行出来る能力の事を“優秀”だと勘違いしているところなんですよね。
ミスを重ねながら、実験や戦いを繰り返し、新しい意見を言う事の出来る本当の優秀な人達の
途中経過を見て、抜けてるだとか変わってるだとか、少し上から評価したような錯覚をおこして
いるA型の方々が結構いらっしゃる。それも、平和で凡人でも生き易い現代では特に増えている
ように思います。しかし社会が危機的な状況を迎えた時、そういう方々は社会のただの“材料”と
して扱われてしまいます。平和で調子のいい時でも、(これはA型の方々に限らずですが)、謙虚さ
が必要だと思います。
周囲によく合わせるA型は、その行動表現においては、最も自分勝手な行動も少
なく見えます。
ただ、それは社会に見せる表の顔。その内面では自分の考えを通そうとする頑固
な面も持っています。この人こそ心を許せる相手となれば、そんな激しい面もぶ
つけてしまったり、普段自分を抑制しているだけに我が侭にもなってしまうので
す。
なかなか気軽に人に心を許せないA型にとっては、あなただから、君だから、自
分の内面を見せられるんだ、と思うのですが、その表現は時にプライドが邪魔し
て、相手に上手く伝わらないこともあります。
或いは、自己表現の少ないA型が、何かで自分を解ってもらえたと感じると、自
分の全てを理解してくれる相手なんだとすっかり思い込んでしまう傾向もありま
す。そうなると、A型は相手にブラインドをかけて、相手の実態を見ることをや
め、何もかもを良く受け取ろうとします。そんな思い込みが良い方向に向いてい
る時はいいのですが、小さなズレが生じた時には、そんなはずはないという、納
得できない落ち込みを味わうことにもなります。
また本来、相手の状態に細やかに気を配ることには長けたA型ですが、それも行
き過ぎると、相手の行動の一つ一つに敏感になり過ぎて、窮屈な関係を作ってし
まうこともあります。
A型がもう1つ陥りやすい面があるとすれば、完璧主義からくる無いものねだり
です。始めは、この人のこんなところが好きだと思って付き合い始めたはずなの
に、だんだん相手の足りないところに目が行くようになってしまうのです。それ
は、思いが深い相手になればなる程強く求めがちになってしまいます。
A型の完璧さを、相手にも求めるのはほどほどにした方がよさそうです。A型が、
自分自身において、完璧であろうとする気高い姿を見せていれば、人は尊敬し、
自ずと習おうとしていくものです。