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ホン・ミョンボ カリスマに日本プロチームぐらぐら
記事入力 2012-11-26 14:45
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[スポタルコリア=坡州(パジュ)]ハンジュン記者=ホン・ミョンボ前オリンピック代表チーム監督が
代表選手選抜過程で日本プロサッカーチームを飼い慣らすことができた秘話を公開した。

ホン監督は26日坡州(パジュ)NFCで進行中であるP級およびA級指導者講習会に講師で参加した。
オリンピック銅メダル獲得の秘法を伝授するための時間だった。

‘奇跡でない徹底した準備が成し遂げた結果’という主題で講義を進めたホン監督はオリンピック
準備過程で最も難しかった部分の中の一つで選手選抜を挙げた。 23才以下代表チームを
導いているのでA代表チームと重なる選手が発生したし、Aマッチではないのでプロチームに
選手招集を要請することもさらに大変だった。

本戦を控えて問題が引き起こされたことは攻撃手キム・ボギョンだった。 当時キム・ボギョンの
所属チーム セレッソ大阪が7月2日に予定された招集日に選手を送れないと伝えられたことだ。
7月2日は本戦最初の競技3週前だった。

ホン監督は“私たちのチームで日本で走る選手たち中最も核心的で重要な選手がキム・ボギョン
だった。 他のチームもセレッソの歩みを鋭意注視していた”として当時の状況を説明した。
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“サッカーに正解はないが原則はある”として自身のチーム構成持論を明らかにしたホン監督は
一つの選手がチームの秩序を惑わしてはいけないとし“セレッソにキム・ボギョンを選ばないと伝えた。
代わりにそのメッセージは私が直接選手に伝達するといった。 もうオリンピックは考えずにセレッソで
熱心にしろという言葉をいうといった。 反脅迫だった計算”としながら当時自身の対応策を紹介した。

“重要な選手だが私たちのチーム哲学がさらに重要だ。 他の選手たちより私の目の前に一週間
遅く現れるのは許すことはできない。”ホン監督は断固としていた。 セレッソ側は10回リーグ競技を
控えていたし、そのうちの一競技だけ陥れば良い招集日程だった。 セレッソはホン監督が一週間差で
キム・ボギョンに対して容赦ない決断を下すことと考えることができなかった。

ホン監督は“セレッソとそれ以前まで関係を良く維持してきた。 私がそうするとは思わなかったこと”
としながら“結局セレッソで翌日電話をして送るといった”という話で断固たる姿勢で願うものを得ることが
できたと話した。

ホン監督の決断が結局キム・ボギョンとオリンピックチームのウィンウィンを引き出した。 セレッソやはり
キム・ボギョンがオリンピックで活躍を通じて300万ユーロの移籍料を受けてカーディフシティで移籍して
金銭的利益を見ることができた。

写真=イ・ヨンス記者