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FCソウル、 "自分"を捨てて "私たち"を得た
アジア経済 | ジョンソンホ | 入力2012.11.22 11:09 コメント5マイピープルツイッターフェイスブック続きを読む

ここまで来れば換骨奪胎と言っても遜色ない。個人主義を脱ぎ捨てたスター軍団は砂のチームでリーグ最強クラブとして再誕生した。
FCソウルは2000年代後半からKリーグでも有数の強豪チームだった。特に2008年シーズンはセニョルギュネス監督の下、攻撃サッカー基調が流布していた時期だった。
"歴代級"に呼ばれるほどの派手なスクワッドがこれを後押しした。朴主永(セルタ·デ·ビーゴ)· キ·ソンヨン(スウォンジー)· イ·チョンヨン(ボルトン)が一緒に走った などそうそうたる選手たちが並んでいた。
しかし、結果は水原に遅れをとった準優勝だった。翌年も選手団は6強プレーオフで全南に敗れしおしお崩れた。

球団内外で出てきた指摘は一様だった。"私だけが知っている"の雰囲気と弱いプロ根性だ。当時、ソウルはKリーグで唯一、個人主義が激しいチームだった。
ソウルの関係者は、 "すべてのスター選手たちなのでそうなのかのチームより個人が輝いて互いにジャルナトダは考えが広まっていた"と伝えた。
また、他のサッカー界の関係者も"長い時間、首都圏のチーム特有自律雰囲気が下手落ち着いた時期"とし、 "そうしてみる個人主義が激しく、団結力も落ちたのが事実だ"と指摘した。

変化の風が吹き始めたのは2010年である。監督はまだ外国人指導者であるネルビングがだた。
その代わりに新任首席コーチだったアンイクス現釜山監督が規律と原則、チームの精神を強調し、選手団の雰囲気を変えていった。
ヒョンヨウンミン·キム·ヨンデなどベテランの獲得も一役買った。ギムハンユン·バクヨンホ程度を除けば、若い選手一色だったソウルだった。
模範的な態度を備えた古参の加勢は砂のようだったチームが粘着性がある粘性を持つきっかけになった。結局、ソウルはその年の優勝を占めた。