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'龍尻尾'より'蛇頭'選んだ朴智星の自尊心とQPRの未来

スポーツ朝鮮|記事入力2012-07-08 10:28 |最終修正2012-07-08 10:35記事原文
ソン・ジョンホン記者songs@sportschosum.com

5月タイ慈善競技の時までしても朴智星(31)の立場は変わることがなく見えた。 マンユーでの引退を守った。
昨シーズン話からチーム内位置づけは急激に減った。 しかし一歩先んじている側は朴智星だった。
移籍拒否権を行使することができた。 契約期間中選手が願わなければ移籍または、賃貸が成し遂げない。
2007年1月トットナム所属だったイ・ヨンピョ(バンクーバーファイトゥケプス)がイタリアASローマ移籍を拒否してチームに残留したように。
昨年夏フランス リール移籍直前イングランド アーセナルで急旋回したパク・ジュヨンも同じ事例だ。
また、朴智星は2011年8月再契約する当時大切なオプションも入れた。
来年シーズン40%以上を消化すれば契約が1年自動延びるということだった。
このオプションが成し遂げる場合、朴智星はマンユーで1年ほどさらに走った後引退する計画を立てていた。

ところで朴智星の計画が根こそぎ変わった。 マンユー引退の夢をあきらめてクィンズパクレインジョス(QPR)で巣を移すことになった。
7年ぶりに脱ぐマンユーユニフォームだ。 6日夜から急浮上した朴智星の移籍の便りは一波万波大きくなった。
7日午前英国公営放送BBCの確定報道を通じてある程度終えられた。
すでに5日QPRで迎え入れたと明らかにした選手が朴智星で圧縮された。
ヨーロッパ移籍市場に明るい関係者も"朴智星の決定も終わった。 QPRに行くことに決心した"として移籍を後押しした。

朴智星のQPR行は多少意外であった。 しかし自尊心が許諾されなかった。
その間積んだ名声を重要だと考える朴智星は最高の頂点でユニフォームを脱ぐことを願った。 拍手する時離れたかった。
ただ、'チーム内位置づけが困るようにならない'という条件付き希望だった。 みたされなかった。