ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー4982
‘韓日橋渡し役’秋成勲・李忠成数奇な共通点
テイルリアン|入力2012.06.23 00:27
[テイルリアンスポーツ=李チュンミン客員記者]
'日本帰化在日同胞4世'秋成勲(37・秋山ヨシヒロ)と李忠成(27・リタダナリ)は数奇な共通点がある。
一時太極マークを切実に望んだが、態度に傷ついて帰って胸に日章旗を甘いもの.
秋成勲は去る1999年釜山市庁に入団して2000シドニーオリンピック出場を夢見た。
しかし不公正判定論議で汚された代表選抜戦から脱落、太極マーク未練を捨てなければならなかった。
'韓日橋渡し役'秋成勲は自暴自棄状態に置かれた。 1年近い彷徨の終止符を打ったことは誘導であった。
愛する誘導だけは放棄できなかったのでアイデンティティ混乱を踏んで苦心の末に日本帰化を選んだ。
毒気品は秋成勲は2年後の2002釜山アジア競技大会で'秋山ヨシヒロ'という名前で登場、安東陣と81kg級決勝戦で会った。
血戦終わりに日本代表が韓国代表を判定で制圧、国内有力日刊紙ヘッドラインは"祖国を地面にたたきつけた"という秋成勲立場では薄情なほどの文句で壁貼りされた。
彼は太極旗と日章旗が共に上がった授賞台の上で"韓日国旗の間ガウンだけ凝視した"と涙声で話して話した。
李忠成は秋成勲と同じ道を歩いた。
2004年FC東京時期同僚五臓恩義推薦で19才以下青少年代表チームに抜擢された。
永らく夢見てきた目標が現実になった瞬間だ。 しかし一週間の合宿訓練で適応できないまま心に傷だけ負った。
在日同胞サッカー評論家神武狂(41)著書<私たちが見られなかった私たちの選手> によれば、李忠成は坡州(パジュ)合宿訓練当時相当な疎外感を受けた。
練習試合ではなかなか自身に球がこなかったし、食事時間には"半分チョッパリ"とコソコソ言うということがずっと聞こえた。
著者は"日本人にする悪口を同じ韓国人に聞いたという事実は在日同胞に途方もないショックで近づく"と伝えた。
結局、李忠成が日本帰化を選んだ背景には秋成勲のように〜アイデンティティ混乱〜が位置した。
信じて頼った味方が実は味方ではないこともあるという点に大きい衝撃を受けた。