■□■□╋ AC MILAN パート445☆

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39名無しに人種はない@実況はサッカーch
[編集] 低迷期
1979-80シーズンのホームでのラツィオ戦が八百長の疑いで調査が行われ、セリエBへ降格処分となった。
当時クラブ会長であったフェリーチェ・コロンボは永久追放となった。
この処分により1980-81シーズンはセリエBでのシーズンとなったが、優勝して1年でセリエAに復帰した。
しかし、セリエAに復帰した翌1981-82シーズンはわずか7勝という成績で再びセリエBへ降格となった。
再びセリエBでプレーすることとなったが、1982-83シーズンは優勝してまたも1年でセリエAに復帰した。
40名無しに人種はない@実況はサッカーch:2012/02/26(日) 11:57:48.80 ID:bMIKoKlH0
2005-06シーズンは4季ぶりの無冠に終わったばかりか、シーズン終了後に発覚したカルチョ・スキャンダルによって、
「2005-06シーズンのリーグ戦での勝ち点-44」、「2006-07シーズンのセリエAを勝ち点-15からの開始」という処分が
イタリアサッカー協会のスポーツ裁判所によって下された。
控訴審では処分が軽減され、最終的に2005-06シーズンの勝ち点は58となり、
3位扱いとしてUEFAチャンピオンズリーグ出場が決まったほか、2006-07シーズンのセリエAは勝ち点-8からの開始となった。