ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー4694

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太極マーク… ‘サンバ’エニンヨの‘コリアンドリーム’
記事入力 2012-01-30 03:06 記事原文見ること

http://imgnews.naver.com/image/081/2012/01/30/1327860402.202831_SSI_20120129185851_V.jpg
[ソウル新聞]

赤い服の応援団でぎっしり埋まったサッカー場、ユニフォーム左側胸についた太極マーク、その中心で走る最初の‘帰化韓国人’.

この頃エニンヨ(31・全北(チョンブク))がいつも頭の中で描く場面だ。 最近ブラジル言論を通じて韓国帰化意思を明らかにしたエニンヨが口を開いた。

チーム同僚らと共にブラジル、サンパウロ州イ透視スパースポーツリゾートで現地訓練に真っ最中のエニンヨを29日会った。

エニンヨは“韓国国籍を持ちたい。 太極マークも甘くなりたい。”とした。 すでに妻、両親とも相談を終えたと。 A代表チーム指令塔に離れたチェ・ガンヒ監督に力になることができるという自信もいっぱいだった。

その一方で“ブラジルワールドカップ本戦に走るためにではない。 ワールドカップは2年後のことで、帰化をするといってもその時までずっと上手にすることという(のは)保障もない。”と線を引いた。

1時間近く進行されたインタビューずっとエニンヨは真剣だったし率直だった。

●Kリーグ5年目通算62ゴール踊る中

実力はすでに検証された。 2003年水原(スウォン)ユニホームを着たエニンヨは2007年から本格的にKリーグを受け付けた。

大邱(テグ)で二つのシーズンを送ったし、2009年からずっと全北(チョンブク)の翼を受け持ってきた。 チェ・ガンヒ監督、イ・ドングクなどと三シーズンを走って二度リーグ優勝を合作した。

Kリーグ通算62ゴール45アシスト(163景気(競技)). 昨年にはアジアサッカー連盟(AFC)チャンピオンズリーグ準優勝もした。

絶妙のドリブルと豪快なフリーキック、チャンスを間違いなくゴールに結びつける‘ワンショット ウォンキル’が一品だ。 今年で韓国生活5年をぎゅっと満たす。

最高の外国人選手と呼ばれながら自然に韓国人になりたい熱望ができた。 実力で認められているところに韓国の治安状態と文化がすっかり気に入ったため。 生活も不足がない。 妻と娘も韓国を愛する。
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ブラジルに住んでいる両親は通話の時ごとに“韓国の人”と呼ぶ程帰化に肯定的だ。

こうしたところにチェ・ガンヒ監督が新年インタビューで“(全北(チョンブク)選手たちは)みな代表チームに選びたい。

エニンヨまで帰化させたい。”と答えたのが油をぶっかけた。 漠然と帰化を考えたエニンヨが‘韓国国家代表’で考えを広げた契機になった。

エニンヨは“グラウンドで勝とうと走るのはみな全く同じだ。 韓国代表チームになるならば本当に感動的であること”といった。

まだ帰化に関する細部手続きはよく分からないと。 チェ・ガンヒ監督と‘ホットライン’を稼動したこともない。 国民感情上帰化後代表チームに選ばれるかも未知数だ。

そのような指摘にもエニンヨは“それでも傷つかないことだ。 国家代表になるためにさらに熱心に走るだろうが”と話しながら笑った。

エニンヨは大韓サッカー協会長の推薦を受ければ政府(法務部)特別帰化の恩恵を享受することができる。

●日本は1990年代から帰化代表選手

障害物は‘閉じられた心’だ。 国民は血統に対する自負心がすごい。 外国人を‘収入(輸入)’年ワールドカップを出て行こうとすることに対する反感も相変わらずだ。

日本は1990年代初めブラジル出身ラモスを受け入れたことを信号弾で、ロペス-サントス-トゥーリオなどが帰化して走った。

私たちもバスケットボール・卓球などではすでに帰化選手たちが活躍しているけれど‘国家スポーツ’であるサッカーでは話が違う。

パラダイムの転換が必要な時間、エニンヨがその先鋒に立つことができるだろうか。

イトゥ(ブラジル)文写真チョ・ウンジ記者

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