>>526 イ・チョンスは最近光陽にある全南球団を訪問して帰って来た. 今年新しく赴任した有終号社長
とは会うことができなかった. チョン・ヘソン監督も事情上会うことができなかった. ギムヤングフン団長
と話し合って出た. 金団長は 2009年バク・ハンソ監督とともにイ・チョンスを迎入した.
彼はフットボールリストとの電話通話で "泉水とお茶でもした. とうにこんなに謝罪して通わなければ
ならなかったが今でもして幸いだと言ってくれた"と伝えた. しかしその以上対話は先に進むことが
できなかった. ギムヤングフン団長はイ・チョンスの任意脱退を解いてくれる問題は球団が単独で
決める問題ではないと言った. 確かに行政的手続きは全南が解くことができるがサッカー界全体の
雰囲気も無視することができないということ. 過去チョ・グヮンレ前代表チーム監督がイ・チョンスを
抜擢しようと思ったがサッカー界と世論の雰囲気に滞って抜くことができなかったことを例であげた.
"公式的に署名をしたことはないがプロサッカー連盟団長協議会と取締役会でイ・チョンスの
Kリーグ復帰を許容しないという決意もあった"と説明した. 何より親企業であるポスコが一番重視
するのが倫理経営でイ・チョンスの問題は倫理的, 道徳的問題が縛られているから敏感だと言うの
が金団長が言う全南の立場(入場)だった.
結局重要なことは世論と言う(のは)話だ. サッカー界, そしてファンがイ・チョンスを容赦と救命すると
いう雰囲気が先行されると球団も動くことができるという話だ. イ・チョンスもこの部分をよく分かっている.
もうその前にも繰り返された間違いと誤解によって自分に烙印を押された '問題児', '悪童'
イメージを引き離さなければならないというのを. 心は抱いたが容器が易しく出なかった. 当時事件
と係わった最大利害当事者はまさに師匠であるバク・ハンソ前監督だった. かなり長い時間が経った
にもイ・チョンスは直接的に謝ることができなかった. 第3者を通じてお互いのしこりが残った心が解け
ていることを確認したが実際に直接お伺いするとか電話をするのは難しかった.