ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー4608

このエントリーをはてなブックマークに追加
鉄鋼王朴泰俊, 韓国サッカーをアップグレードさせたサッカー王
記事送信 2011-12-14 15:12

ttp://nimg.nate.com/orgImg/sc/2011/12/14/2011121501001058500088951.jpg
13日死んだ朴泰俊ポスコ名誉会長のサッカー愛はすごかった. 1990年浦項スチールヤードが開場
した後朴会長(一番の下)が直接芝を選んでいる. 写真提供=浦項スチロース

2011年先生の日(5月 15日). 浦項スチールヤードは搖れた. ホームチーム浦項と全北の自尊心対決
のためだけではなかった. 特別な人が訪問することになっていた. 鉄鋼王朴泰俊ポスコ名誉会長だった.

浦項サポーターたちは朴会長の顔が描かれた特別なゴルゲを準備した. 自分の姿を見た朴会長は
明るく笑った. 手をあげてサポーターたちに肯定的に回答した. サポーターたちとファンは "朴泰俊!
朴泰俊!"を叫んだ.

それから 7ヶ月後の 13日朴会長は世の中とお別れを告げた. 享年 84歳だった. 鉄衣貧土だったこの
地に溶炉のふえる消えなくした朴会長は大韓民国サッカー界をいっそうもっとアップグレードさせた
主人公だった.

朴会長はその誰よりサッカーに対する熱情が強かった. 1964年大韓重石社長で就任するやいなや
サッカーチームを作った. 1973年浦項製鉄を完工した後熔解鉄を生産し出すとまさに実業サッカー
チームを作った. 韓国最初の実業チームだった. 当代とても有名なスター選手たちを連れて来た.
1970年代はイ・ヘテクを始まりにイ・ヨンムパク・チャンソンチョ・グヮンレなどが皆浦項製鉄で走った.
1980年にはチェ・スンホパク・ソンファパク・ギョンフンなどを経って 1990年代ファン・ソンホンホン・ミョンボ
パク・テハなども皆朴会長が直接呼んだ. ファン・ソンホン一人を連れて来るために 8人の選手を渡した
事情はまだまでも伝説で伝われている.

選手たちに対する愛情は特別だった. 浦項の新入選手たちが一番先に向かう所が朴会長との面談だった.
製鉄所内ではブルドーザーみたいな朴会長だったが選手たちの前ではいつも穏やかな隣おじさんだった.

ttp://nimg.nate.com/orgImg/sc/2011/12/14/2011121501001058500088952.jpg
5月 15日 K-リーグ競技場を尋ねた朴泰俊名誉会長. 写真提供=浦項スチロース