ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー4602

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前任代表チーム指令塔ホ・ジョンム監督の決心吐露
記事入力2011-12-11 18:36

“チョ・グァンレ監督記者会見行ってきましたか?”

チョ・グァンレ国家代表チーム監督の退任記者会見一日後の去る10日. ホ・ジョンム(56)仁川監督と
会った席で彼が記者に先に質問を投げた。 それと共にホ監督は“送る最後の姿がとても良くなかった”
として濃い物足りなさを表わした。 彼は決心したように大韓サッカー協会の決定と技術委員会の有名
無実な役割に対して批判を加えた。

◇独立性保障. 上謹直化で技術委正しく立て直せ

ホ監督は“技術委員は各自自分の仕事を持った人々だ。 集いがある時ごとに交通費名目で小額の
補償だけ受ける。 自分の仕事もしなければならないのに責任感を持って熱情的に専念することは
難しくないか”と基本的限界を指摘した。

“あえてサッカー人出身ではなくても先進サッカーを勉強して世界流れに敏感な人々. 高校や大学
などで指導者経験を積んで現場事情に明るい人々を常勤職委員で置いて研究に専念することが
できるようにしなければならない”として上謹直化を代案に出した。

“ファンボ観技術委員長が日本で多くの経験をしてきたことは事実だが国内での履歴が多くない。
技術委員らを導いていくには不足する”として“技術委が協会に言うべき事は言って代表チームに
苦言もできなければならないのに独立性が保障が出来なければ今のように機械的に賛成する人の
役割しかならない”と声を高めた。

◇送る姿が良くなかった

ホ監督は2000年初めての代表チーム監督職から退く当時を回想して“シドニーオリンピックでたとえ
ゴール得失で押されて組別リーグ通過に失敗したが2勝1敗(勝点6)で当時歴代最高成績を出した。
アジアンカップではイランと8強戦で延長接戦終わりに勝って4年前敗北を雪辱した。 以後体力問題で
苦戦したが3位をした”と回顧した。
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当時にも注目するほどの成績を出したと考えたが退く過程で正当な評価を受けることができないのが
さびしかった。 ホ監督は2004年みたプレレ監督体制で首席コーチで代表チームに帰ってきた。
“コーチをしてくれというので初めには固辞したが協会側で外国人監督をちょっと助けてくれと丁寧に
お願いして結局受諾した”と話した。

成績不振を理由で指令塔で押し出されたが助けが必要な瞬間にはまた手を握った。 チョ・グァンレ
監督もいつかまた必要な人物なのに協会と背を向けて離れるようにさせたことは良い仕上げでは
なかったという考えだ。

◇次期監督は国内人物の可能性高い。

ホ監督は‘毒が入った聖杯’で呼ばれる代表チーム監督職が国内指導者に帰る可能性が高いと
見通した。 彼は“最終予選が重要だ。 ワールドカップ本戦行が挫折する場合、韓国サッカーに固め
打ちする後日の暴風は想像するのが難しい程途方もないこと”としながら海外監督が国内事情を
把握して代表チームを正常軌道に上げるには時間的な余裕がないと指摘した。

‘知韓派’に通じるアプシン コトゥビ清水監督に対しては“指導者経歴が代表チームを引き受けるには
不足する。 イラン代表チームでも結局は失敗したのではないのか”として否定的な見解を出した。

ホ監督は1998年から2000年までオリンピック代表チームと国家代表チーム監督を兼任した。 “その時
とは違い今は重要なワールドカップ予選とオリンピック予選日程が重なる。 兼任は不可能だ”として
ホン・ミョンボ オリンピック代表チーム監督の兼任の可能性も一蹴した。

イ・ジョンス記者polaris@sportsseoul.com
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