ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー3932

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“イ・ドングが好きで… 10年間限り・仕事行き交って 100競技見たんです”
中央線デー原文記事送信 2010-09-05 05:03

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K-リーグ愛にすっかりはまった日本女性ファン川岐押します

“水原-ソウル前チケット現場で住むことができましょうか?”
日本からかかって来た電話だった.彼女の名前は川岐押します(38).
8月 27日午後韓国へ来るのに,翌日開かれる水原とソウルの競技入場券が残っているのかはお問い合わせだった.
現場で切符を買ったミオは K-リーグ最高ビッグマッチで数えられる水原とソウルの競技(景気)を特席で見た.
自分が応援するイ・サンホ(水原)がゴールを入れると席でむっくり起きて水原サポーターグランブルーと一つになった.

29 日には蔚山に降りて蔚山と浦項の K-リーグ競技(景気)をやっぱり特席で見た.
この競技(景気)はミオが見た 100番目 K-リーグ競技(景気)だった.
望遠レンズを利用してグラウンドを歩き回る蔚山選手たちの写真を手まめに撮った.
自分のホームページ ‘サイワールド’にあげるためだ.

翌日彼女は蔚山東区にある蔚山現代のクラブハウスを捜して選手たちの回復訓練を参観した.
運動場を回った選手たちはミオを見ると手を振ってあいさつした.
訓練が終わるとミオは家族みたいな蔚山現代球団職員たちと一緒に夕方でアグチムを食べた.
好きな焼酒も思う存分飲んだ.
そして翌日午後彼女は日常が待っている日本に帰った.
2001年から 10年目繰り返されている ‘日本である未奥義 K-リーグとともにする週末’だ.

朝見・ユ・サンチョル・金正宇にも熱狂

ミオは日本神奈川県洋子スカッシュで幼い時代を過ごした.米軍 7艦隊の母港で有名な所だ.
二つの歳の上のお兄さんは小学校の時からサッカー選手だった.
しかしミオはサッカーに関心がなかった.劣勢肉の時のテレビに中継された高等学校サッカー競技を見て ‘ユニホームが本当にきれいだね’と感じたのが全部だった位だ.