ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー3729

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'悲運の天才(天災)'コ・ジョンスとイ・チョンスは違う
記事入力2009-07-11 09:15

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韓国サッカー史で'悲運の天才(天災)'とすれば浮び上がる二人の選手がいる。 まさにコ・ジョンス(31)とイ・チョンス(28)だ。

一時'天才(天災)'と呼ばれて韓国サッカーを思うままにしたがみだれた私生活と自己管理失敗で天才的な才能をすべて
サッカーにだけ注ぎ込むことができなくて腐らせなければならなかったスターだ。
サッカーファンらは'悲運の天才(天災)'を話してコ・ジョンスとイ・チョンスを比較したりする。
それしか方法がなかったのがコ・ジョンスとイ・チョンスは似た道を歩いている。
先輩コ・ジョンスが行った道を後輩イ・チョンスがそっくりついて行くような感じだ。

1998フランスワールドカップ後コ・ジョンスは韓国サッカーの中心に君臨した。 誰も対抗できなかった韓国の看板プレイメーカーであったコ・ジョンス.
彼は所属チームだった水原(スウォン)を1998年1999年連続で優勝させてKリーグMVPに上がったし,
コ・ジョンスの存在感とスター性,そして天才的才能が最高潮に至った時Kリーグの人気も最高潮に達した。

コ・ジョンスは1997年1月,オーストラリア4ヶ国大会ノルウェー戦で初めて胸に太極マークを付けて競技にでる。
以後1998年フランスワールドカップ代表と2000年シドニーオリンピック代表などを経てAマッチ38競技出場,6ゴールという記録を残した。
98年フランスワールドカップ以後代表チーム不同のプレイメーカーはコ・ジョンスであった。 その誰もコ・ジョンスの牙城に挑戦さえできなかった。

イ・チョンスやはりコ・ジョンスのような道を歩いた。 韓国サッカーでイ・チョンスの存在感はあまりにも大きかった。
2002年蔚山(ウルサン)現代に入団してKリーグ新人賞で始めたイ・チョンスは2005年蔚山(ウルサン)現代を優勝に導いてMVPに登板した。
2006年A3チャンピオンカップではJリーグ優勝チーム カンバー大阪を相手にハットトリックを記録して,大会MVPと得点王に選ばれることもした。