【中村俊輔】ていうかエスパニョールなんだよね626
「ロベルト、申し訳ないが、ちょっと席を外してくれないか」。
日本代表MF中村俊輔の代理人を務めるロベルト佃は、横浜との交渉中に退席するように依頼された。
交渉は、すでに合意点が見え、入団発表などの段取りも進んでいた。この日は交渉というより
最終確認のはずだった。
だが、横浜社長の斎藤正治が突然、態度を変えた。すでに了承していた条件の一部を「のめない」と
言い出した。佃は驚いた。同席していた横浜チーム統括本部長の松本さえも驚き、
慌てて佃に一時退席を求めた。クラブ内の意見調整が始まった。交渉は思わぬ方向へ転じた。
部屋を出た佃は、すぐに関係者へ電話をかけている。「もしかすると白紙に戻ってしまうかもしれない」。
この予感は的中した。
横浜が示した基本条件は指定年俸1億5千万円の2年8ヶ月契約。中村が受けたオファーの中では
最低レベルだった。それでも古巣復帰を望む中村は了承していた。ただ、付帯条件については
支払い時期や方法を明確にしておく必要があった。問題となったのは、この点だった。
日産自動車から転出してきた斎藤は、中村獲得に際し、常に親会社の反応を気にかけていた。
親会社もあえぐ不況下での大型補強。この日は同じく日産組の経理担当役員も同席し、
斎藤に先立って条件見直しを主張した。確かに個々のクラブには事情がある。予算もある。
だが、交渉は最終段階だった。主張し、交渉するべき時期ではなかった。斎藤は「時」を間違えた。
約30分後、佃が部屋へ戻った。だが、横浜は明確な最終回答を伝えられず、
クラブへ持ち帰っての再検討となった。それでも両者は「前向きに話していこう」と確認して別れた。
マウリシオ・ロベルト・ポチェッティーノ・トロッセーロ
90/91シーズン アルゼンチンリーグ優勝 ニューウェルズ・オールドボーイズ
99/00シーズン コパ・デル・レイ (スペインカップ)優勝 エスパニョール
05/06シーズン コパ・デル・レイ (スペインカップ)優勝 エスパニョール
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つづき:2009/06/25(木) 17:43:14 ID:ZMZR/OKg0
そして翌9日。
斎藤は朝一番に、佃へ電話をかけた。前日の交渉での不手際を謝罪するためだった。一方、
電話を受ける側の意識は違った。再検討した上での最終回答が聞けると思った。しかし
「調整させてください」と、あいまいなまま、最終的にはクラブ内の再検討の末、
斎藤も条件を了承した。だが、中村側に与えた不信感は、もう消せないところまで深くなっていた。
この直前には、エスパニョールの強化部長、ラモン・プラネスが1泊2日の強行スケジュールで来日し、
中村の必要性を訴えていた。オファーを断ったにもかかわらず、熱心な姿勢は変わらなかった。
流れは、完全にエスパニョールがつかんでいた。
横浜も、中村を必要としていた。
プレーの実力だけでなく、若手選手への影響、観客動員やグッズ販売。何より横浜で育ち、
世界へ羽ばたいたという存在価値は、クラブに欠かせないものだった。斎藤も、
決して中村という選手を軽視したわけではない。ただ、すべてがずれてしまった。
そもそも交渉前から「ずれ」はあったのかもしれない。
中村側と横浜の交渉は、初めから非常に特殊なものだった。