ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー3714

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2009年 06月 17日 (数) 08時 24分プレ試案
北朝鮮 対 イラン '悪の軸' ダービ,今度には '代理戦'だ

[プレ試案スポーツ] サウジと韓国二つの 親美国家によって

[プレ試案李宗城客員記者]
2005年 3月 30日平壌金一聖書記章.イランとのワールドカップ最終予選競技途中突発事態が発生した.
主審はペナルティーキックを宣言しなかった.
代わりにここに抗議をした北朝鮮選手にレッドカードを突き出したし,ここに激怒した北朝鮮ファンは水差しなどをグラウンドに投げた.

内心北朝鮮アウェーゲームがごつごつした感じだった日本はこの事件をそのまま通り過ぎるわけなかった.
彼らは安全問題を持って FIFA(国際サッカー連盟)に北朝鮮に対する力強い制裁を促した.
この過程で日本サッカー協会は北朝鮮言論が 1966年ワールドカップ 8強戦で審判の不利な判定のため北朝鮮が敗れたという報道まで暴き出して FIFAを刺激した.

結局北朝鮮は日本とのホームゲームを第3国であるタイバンコクで観衆いなく支払わなければならなかった.北朝鮮とイランのいわゆる '悪の軸' ダービはこんな紆余曲折の中で始まった.

'平壌暖冬'の逆説

一般的にこの事件は国際社会の困りものという北朝鮮の良くないイメージをもっと堅固にさせたことに評価されて来た.しかし必ずそうではなかった.
逆説的だがこの事件は西欧社会に '北朝鮮も私たちのような人々が住む所だね'というイメージも与えた.

特に北朝鮮人々を独裁者のボタン操作で動くサイボーグ位だと思った人々にこの暖冬事件は一種の衝撃だった.
国際政治には相対的に関心が減るがサッカーにはこの上なく大きい関心を持つヨーロッパの普通人々がこの事件を見る視覚だ.

4年後,'悪の軸' ダービは再び妙な波長を起こした.しかし今度はその波長の震源がイランだった.

監督アリダイエーとスターアリカリミの仏画などのネホングを経験したイランは結局監督交替を断行した.
新しい団長を一イランは去る 6日北朝鮮との競技に大きい期待をかけた.しかし結果は 0-0 引き分け.イランサッカーファンは興奮した.
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サッカーは目前に大統領選挙を控えていたイラン政治にも影響を与えた.鳩派であるミール豪勢である無事費候補を支持する若い有権者たちは
マムドアマデ−ネザド大統領が推進して来た対外強硬策の無理数をサッカー代表チームの無気力症と連結させた.

北の 44年宿願は韓国-イラン競技(景気)によって変わるよう

北朝鮮とイランはワールドカップ予選最終戦のみを残しておいている.この競技結果によって南ア共和国ワールドカップ進出可否が決まる.
17日イランは韓国とアウェーゲームを開いて,同じ日北朝鮮はサウジアラビアでアウェーゲームをするようになる.北朝鮮がサウジを勝てば北朝鮮は無条件ワールドカップに直行する.
しかし遠征という点で北朝鮮は手に負えない勝負をする可能性がある.そんな場合北朝鮮のワールドカップ進出可否は韓国とイランの競技結果が決める.

イランの指揮奉は 2002年限りであるワールドカップの時のヒジンク号の戦力分析官で活躍したイラン係アメリカであるアブシンゴート費が取っている.
韓国選手たちの習性を突き通しているゴート費の作戦がイラン選手たちのボディーランゲージに昇華されたら彼らにも希望がある.
特にもうワールドカップチケットを確保した韓国選手たちが集中力を失う場合彼らの希望はもっと大きくなることができる.

79年イスラム革命に成功したリーダー痛いツールだとホメイニは腕レビー王朝によってすくすくと大きいイランのサッカーを禁止させようと思った.サッカーを西欧文物の私生児に思ったからだ.

しかしホメイニはサッカー禁止措置をあきらめた.彼は向かい風が恐ろしかった.切り捨てにくい位にイランにはとても根深くサッカー文化が落ち着いていたという証拠だ.

変化を夢見たが血なまぐさい大統領選挙結果の前に不満がもっと大きくなったイラン国民や再選に成功したアマデ−ネザド大統領にイランと韓国との競技がどんな意味を与えるか分かりたい書き入れ時でもある.
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平壌金日成広場では 15日UN安全保障理事会の対北制裁決意糾弾群衆大会が開かれた."朝鮮のない地球は必要ない"と言う掛け声とともに.北朝鮮サッカーは 66年ワールドカップ以後国際舞台で彼らの存在を知らせる機会が極めて珍しかった.
それで北朝鮮サッカーは昔も今も相変らず神秘だ.

たとえイランの青年たちと一緒に政治とサッカーを同一線上で批判することができる自由さを北朝鮮で捜すことは大変だ.それでも北朝鮮の 44年ぶりのワールドカップ進出は切実だ.
少なくとも正常で易しい方法で彼らのイメージを世界に伝達することができる機会という点でそうだ.

李宗城客員記者 ( [email protected] )