2009年 04月 22日 (数) 10時 33分連合ニュース
朴ウンソン,また選手団離脱..選手生命危険な状況
ttp://photo-media.daum-img.net/200904/22/yonhap/20090422103820459.jpg ttp://photo-media.daum-img.net/200904/22/yonhap/20090422103820512.jpg (ソウル=連合ニュース) イドングチル記者 = ひととき `女朴駐英'と呼ばれて韓国女サッカー看板ストライカに活躍した朴ウンソン(23.ソウル市役所)が
2009 WKリーグ開幕競技を控えて所属チームを無断で離脱して選手生命が危なげになった.
朴ウンソンは去る 14日コーチ陣と相議なしにソウル市役所選手団宿所から出た後 1株超えるように連絡を切っている.
ソ・ジョンホソウル市役所監督は 22日 " 先週超に腰が痛いと午前訓練に不参して 14日から訓練に参加しなさいと知らせたが以後特別な説明なしに連絡になっていない " と言った.
朴ウンソンの選手団離脱は一二回ではない.
シーズンを始めるとか大会がある度に繰り返されたということがソ・ジョンホ監督の説明だ.
朴ウンソンは 2004年アジア女青少年選手権大会優勝とともに最優秀選手(MVP),得点王(8ゴール)まで成して女サッカーの `希望'で浮び上がった選手.
180pの背に男選手にも滞らないパワーとスピードを取り揃えて `化け物攻撃手'と呼ばれるほどだ.
2005年東アジア選手権大会優勝を導いた朴ウンソンはしかし `反抗児'という新しい荷札をつけなければならなかった.
翌年 5月アジア女選手権大会を控えて代表チームに抜擢したが二度宿所を離脱しながら 6ヶ月資格停止を受けた.
1年以上迷った朴ウンソンは 2007年 7月チームに復帰しても月後秋季連盟前から六ゴールに得点王に上がってもとに帰って来るようだった.
しかし去年 5月 2008 アジアサッカー連盟(AFC) 女アジアンカップ代表チームに召集されてからも腰負傷などを理由で太極マークをつけなかった.所属チームでも離脱と潜伏を繰り返して正常な訓練を受けることができなかった.