ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー3639

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[連合ニュース 2009.02.26 20:42:10]
(ソウル=連合ニュース) ハンサングヨング記者 = `風雲児' イ・チョンス(28)が紆余曲折
あげく全南ドラゴンズで移籍した.

全南球団は 26日夕方 "イ・チョンスと水原三星, 全南 3者の間契約書に合意署名するこ
とでイ・チョンス迎入を最終定めた"と発表した.

契約期間は来年 1月までで 7月までは水原で再賃貸, 以後には院所属球団であるオランダ
ペイェノ?ルトで追加賃貸する形式だ.

しかし交渉に障害物になった年俸問題に対してはシーズン手始め後イ・チョンスがまじめ
な訓練態度を見せてこの前技倆を取り戻したと判断される場合追後論議する事にした.

イ・チョンスは自分の年俸金額を球団に委任した.

イ・チョンスは最初全南の無報酬提議に "年俸をくれ"と言う立場を見せて交渉に難航を
経ったが全南が一定額の報酬を与える方で態度を変えながら劇的に合意を成したことと知
られた.

こういうわけでイ・チョンスは蔚山現代, 水原に引き続き K-リーグで三番目ユニホーム
を着るようになった.

バク・ハンソ監督は "イ・チョンスが立派な選手だが一部ファンに否定的な視覚もあると
いう考えに多くの苦心した"と言いながらも "しかしイ・チョンスの覚悟がすごくて 2002
年ワールドカップ時代に師弟の縁に良い選手と判断, 迎入を決めるようになった"と言っ
た.

イ・チョンスは "バク・ハンソ監督が韓日ワールドカップ時代に私をよく導いてくださっ
た分で私の長短所を誰よりもよくご存じだからよく指導してくださる監督と思って全南行
を選んだ"と言った.
イ・チョンスは二度海外進出失敗, 水原と摩擦などで任意脱退身分であってから結局全南
行を決めるようになった.

2002年蔚山に入団, プロにデビューしたイ・チョンスは 2002年韓日ワールドカップを通
じて実力を認められた後 2003年スペインフリメガリガレアル小市エッダドロー移籍して
'成功の道'を集めるようだった.

しかし何の活躍を広げることができないのに翌年ヌマンシア(スペイン)に賃貸されたがや
っぱりゴールを入れることができなくて 2005年実家チーム蔚山で寂しく復帰してしまっ
た.

K-リーグに復帰したイ・チョンスはその年ハットトリックを含んで 14競技間 7ゴール 5
アシストを打ち上げて歴代最短競技(景気)(50競技) '20(ゴール)-20(助け) クラブ'に加
入しながら MVP トロフィーまで占めた.

2006年ドイツワールドカップトーゴ前と翌年 2月ギリシア評価試合で素敵なフリーキック
ゴールを入れたイ・チョンスは 2007年 8月ペイェノ?ルトに入団してもう一度ヨーロッパ
舞台に挑戦した.

しかし新しくペイェノ?ルトの指揮奉を取ったヘルトヤンベオベック監督の信任を得るこ
とができなかったイ・チョンスはベンチを守る事がだんだん多くなって賃貸形式で K-リ
ーグでUターン, 水原に巣を作った.

しかし負傷に引き続きコーチングスタップと意見差, 不真面目な訓練などで口舌に上り下
りしている途中水原で賃貸期間を満たすことができなかったまま任意脱退になったが全南
と契約した. 水原ユニホームを着てからは 4競技に出場して 1ゴールを入れた.

[email protected] (終り)