ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー3627

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2月 2日午後 4時. クンミング転地訓練を控えた江原FC 選手たちが
集結誌である仁川国際空港に一つ二つ姿を現わし始めた.

去る 1月 22日から 31日まで 9泊 10日間済州島で進行された国内転地訓練を終えて
短い一日お休み後会った選手たちの表情はかなり明るかった.
クンミングに去る前久しぶりに家族たちと会って団欒な時間を過ごしたと笑っている選手たち間で
特に憔憔した顔をしている一人が目立った. オハシMasahiro選手だった.
オハシ選手は “明日がワイフの出産予定日だ. 一所に転地訓練日程と重なって
横にあってくれることができない”とすまない心を示した.

選手団がクンミング現地に到着した時間は夕方 10時.
ホテル移動の中にも携帯電話をおくことができなかったオハシ選手に
ワイフの出産が切迫したという消息が伝わった.
そして翌日, 午前訓練を終えてシャワールームに入って行く中
いっぱい興奮した ‘岳母様’の声が受話器向こうで聞こえた.
“オハシ, 息子だ!”

2月 3日午前 11時.
ソウル某病院で 2.98kgのオハシ ‘ジュニア’が世の中と会った瞬間だった.

“ワイフが韓国人です. 日本語が上手ではないから
日本現地病院で書く難しい言葉は聞き分けることができません.
それで子供は必ずワイフの故郷で生まなければならないと思いました.
ワイフと息子皆元気だと言ったら私も安心ですね.”
1999年 18歳の年に横浜マリノスでデビューする当時オハシ選手は
"天才ミッドフィルダーのびっくり登場"という賛辞の下言論のスポットライトを一身に受けた.
Jリーグ通算 197競技 19ゴールを記録するなど
去年まで川岐プロンタルレで主戦に活躍したオハシ選手だった.

したがって彼の突然の江原FC行は世間の関心を催した.
"ワイフが韓国人だ"というオハシ選手の言葉を聞いてから
すべての知りたい事が一瞬のうちに解け始めた.
韓国語を学び始めたし, キムチが一番好きになったし,
一番好きな映画も韓国映画 'ウエルカムツードングマックゴ?ル'になった
オハシの特別な韓国史とは, 結局韓国人ワイフに向けたサラングエソブトだった.


横で聞いていたルームメート朴縦陣選手は
“兄嫁に対する愛が特別だ. そのため韓国をもっと特別に思うようだ”と付け加えた.

“ワイフが日本で留学生にいた時代, 初目に比べて結婚まで早くなった”と言ったオハシ選手は
“もう息子も韓国で生んだから韓国, そして江原を私のまた他の故郷のように思いながら
暮さなければならない”と言いながら笑った.