ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー3575

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うどん’は朝鮮が伝えた `カルグッス
62359| 2008.11.06 問い合わせ 95| 推薦 2 うどん’は朝鮮が伝えた `カルグッス'

うどん’すれば誰もただちに日本食だと思うでしょう.

果たして `うどん'の援助は日本か. 誰が日本の領土で初めにうどんを作っただろうか. しかし日本の領土でうどんを
初めて作ったことは我が国で渡った円陣(元珍) お坊さんだった. その事実を日本学者たちも次のように自認めている.

“今の麺模様のうどんを作るようになったことは江戸時代(江戸時代・1607〜1867)初期に朝鮮の学僧円陣お坊さんが
作る方法を教えてくれたのだ.

その頃円陣お坊さんはそば粉に小麦粉を交ぜて練ったことを長く伸ばして便のを刀で切って麺を作った. この方法は
直ちに大きく流行って誰も食べやすい麺を作って食べたのだ.
この時から麺の名前は ‘運動’と呼び始めた. その以前まではすいとんのみを作って食べたがすいとんは `コントング
(混鈍)’と呼ばれたのだ.”

このようにうどんは朝鮮の学僧円陣お坊さんが日本に渡って初めてカルグッスを作って食べる方法を日本人たちに
教えてくれたことから始まったのだ. そしてこの時に韓国式カルグッスの名称は `運動’と呼び始めた.
当時の `運動’が今のように `うどん’という言葉で変わったのだ. `運動’ `運動’している途中口音が変化して `うどん
’になったこと.

それなら円陣お坊さんはどんなに日本に渡ったのだろう.
円陣お坊さんはその頃朝鮮通信使(朝鮮通信使)の一員で日本に渡った.

朝鮮通信使は主に調整の役人たちだった. 調整の文書を扱う承文院(承文院)の製述官(製述官)を含めてキュジャンカク(〓章閣)の獅子官(写字官) など宮人たちが日本を長期間旅行して帰って来るようになったのだ.