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〜似たように違う(?)〜イ・ドングクとセプチェンコ
2008年10月28日(火)10時13分 テイルリアン
[テイルリアンイ・サンギュ客員記者]

一時韓国最高のストライカーで名声をとどろかしたイ・ドングク(29・城南)が
選手生活で大きい分岐点に会った。

イングランド ミドルズブラでこれという活躍なしで放出されると最近Kリーグでも不振に
頭を下げて体面を台なしにしたこと。

最近〜ペナルティーキックゴール含む〜2競技連続ゴールを入れて生き返るようだったが,
去る26日ソウル前不振に顔がまた赤かった。さらにこの日チームは0-1で敗れて3位に
降りて行ったし,キム・ハクポム監督は"イ・ドングクに何度かのゴール機会がきたが,
生かすことができないのが敗因だ。 モーターの欠場より(イ・ドングクの)ゴール決定力
不足がさらに惜しい" や直撃弾を飛ばした。

問題はイ・ドングクの不振脱出〜兆し〜が見られないという点だ。去る18日釜山戦で
唯一のフィールドゴールを入れただけ,残り10競技で相手チーム守備陣抵抗に力を
出せなかった。特に,〜1位競争チーム〜ソウル前不振にキム・ハクポム監督の苦言を
聞いて,据え付け主戦投入さえ大言壮語できない状況に達した。

イ・ドングクの不振は城南の下降傾向につながった。城南は今回のシーズン中盤から
15競技連続無敗(5月10日〜9月13日)街道を走って正規リーグ1位に上がったが,
偶然にもイ・ドングクが走った11競技で4勝2分け5敗の不振に陥って3位に沈んだ。
〜移動国招聘〜で8回目正規リーグ優勝の夢を育てた城南がむしろ押されていること。
このようなイ・ドングクの沈滞は2年前イングランド プレミアリーグチェルシ移籍以後
限りない不振に陥った差し上げないでセプチェンコ(32・ACミラン)の歩みと似ている。
二は並んで2006-07シーズンプレミアリーグに入城したが,これという活躍なしで今年の夏
イングランド土地を離れた共通点があるところにポジションまで同じだ。

二は城南とチェルシで派手な身代金に似合った競技力を発揮できなかった。イ・ドングクが
年俸4億ウォンの条件で城南に入団したとすれば,セプチェンコは当時プレミアリーグ
最高移籍料の3,000万ポンドに年俸 1,290万ドル(ヨーロッパリーグ6位,2008年4月基準)を
受けたが,グラウンドでは期待に達することができなかった。

イ・ドングクとセプチェンコの不振は城南とチェルシ成績下落までそそのかした。 特に
チェルシは2006年夏EPL 3連敗とチャンピオンズリーグ優勝のために〜得点機械〜で
名声をとどろかしたセプチェンコを迎え入れたが,リーグ2位墜落の逆効果をむかえた
うえに彼が活躍した時期に監督は二回も更迭された。

彼がトゥロクパ中心のチェルシ攻撃戦術に適応できなくて,二つのシーズンの間リーグ
9ゴールに終わったとすれば,イ・ドングクは〜モーター-置いても〜に組まれたサンバ
デュオ中心の城南攻撃パターンに溶け込めずにいる。

しかもキム・ハクポム監督は当初イ・ドングク招聘を反対したことがある。去る7月27日
イ・ドングクの城南移籍説が飛び交おう"私たちがイ・ドングクを使うことはない。球団と
検討終わりにイ・ドングクを迎え入れないことで最終結論を出した" や国内言論を通じて
厳しい忠告を与えることもした。
興味深いのは2006年当時チェルシ指令塔を引き受けた租税ムリニュ監督(現インター
ミラン)もセプチェンコの招聘を反対したことがあるという点だ。 選手招聘に権限が
なかったムリニュ監督は計画になかったセプチェンコを連れてきたロマン アブラモビチ
チェルシ球団オーナーと不和ができたし,これは′ムリニュvsセプチェンコ′,
′ムリニュvsアブラモビチ′対立で拡大した。 2006-07シーズン中盤まで主戦攻撃手で
活躍したセプチェンコはムリニュ監督の'憎しみ(?)'を受けて彼が更迭される前まで
粘り強い出場機会を得られなかった。

しかしイ・ドングクが今の不振から脱出できる教訓はジネディーヌ ジダンで探すことが
できる。 ジダンがレアルマドリードに入団した初めてのシーズン〜モクティ〜という
皮肉ることを受けてチームプレーに適応した努力終わりに次のシーズンから技量が
満開したようにイ・ドングクも城南のはやい攻撃パターンに慣れた動作に変身するならば
城南スタイルに溶け込むことができる。

さらに肯定的な部分は城南が唯一〜攻撃手復活〜と縁が多いチームというもの。
2001年城南の正規リーグ優勝を導いたシャシャをはじめとして,金大儀,キム・ドフン,
ウ・ソンヨン,二頭が代表的だ。その中1人のキム・ドフンが城南コーチで身を置いている。

セプチェンコは新しい舞台であったプレミアリーグで失敗したが,イ・ドングクは98年
新人時期から2006年までKリーグ頂上級ストライカーで名前(鳴らす,轟く)振り切った
経験があるところにプロ デビュー以後10年の間海千山千みな体験したことだし再起する
ことができるという自信も充分だ。

イ・ドングクの底力はまだみなあらわれなかった。