ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー3408

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<ワールドカップサッカー> 険難だった本船挑戦の歴史
連合ニュース | 記事入力 2008-02-05 10:59

(ソウル=連合ニュース) ベジンナム記者 = ホ・ジョンム号が 7回連続ワールドカップ本選進出という課題を抱いて航海に出る.サッカー代表チームは 6日ソウルワールドカップ競技場でトルクメニスタンと 2010 南アフリカ共和国ワールドカップアジア地域 3次予選初競技を行う.

韓国サッカーのワールドカップ本選挑戦史は順調ではなかった.

ワールドカップ本選舞台に顔見せをしたことは 1954年スイス大会.韓国はアジア地域予選で日本とホームアンドアウエーで正面対決をするようになった.

しかし当時反日感情がひどかった李承晩大統領が日本選手たちを韓国地に呼び入れることができないと入国を不許して日本で二競技皆行わなければならなかった.

韓国は遠征態度の中でも 1勝1分け(5-1,2-2)をおさめて史上初ワールドカップ本選進出権を取った.

以後またワールドカップ本選に上がるまでおおよそ 32年がかかった.一間はアジアの壁さえ易しく越すことができなかった.

1958年スウェーデン大会の時は大韓サッカー協会職員が参加申し込み書類を紛失するせいで予選に出場することができなかったし,1966年ロンドン大会の時は当時莫強した全力を誇示した北朝鮮に敗れることを恐れて予選不参を宣言するなど紆余曲折も多かった.

そして遂に 1986年メキシコ大会にまた顔を出した.

キム・ジョンナム監督の導いた代表チームはネパールと初競技で 2-0で勝利したことを始まりに 1次予選を 3勝1敗でパスした後 2次予選でインドネシア(2勝),最終予選で日本(2勝)を順に折って本選チケットを引っつかんだ.

1990年イタリア大会の時は 1次予選 6戦戦勝,最終予選 3勝2無等 9勝2分け,30得点 1失点の成績に堂堂と 2回連続ワールドカップ出場権を取った.

キム・ホ監督が導いた 1994年アメリカ大会予選の時はいわゆる '渡河の奇蹟'が韓国サッカーをいかした.

バーレーンと 1次予選初競技を 0-0で引き分けた後 7連勝で最終予選に上がった韓国.しかしカタールで開かれた最終予選ではイラクと 2-2,サウジアラビア 1-1で引き分けた後 4次戦で日本に 0-1で敗れるなど低調な成績をおさめて本選進出が死んでるようにした.
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しかし最後の競技(景気)だった南北対決で韓国が 3-0で勝って日本がイラクに終了直前同点ゴールを奪われて 2-2で引き分けるせいで漁利で本船入城に成功した.

チャ・ボンクン監督が指揮奉を取った 1998年フランス大会の時は 1次予選で香港と初競技 2-0 勝利を始まりに 3勝1分けをおさめたし,最終予選では歴代最高成績な 6勝1分け1敗をおさめて本選進出に成功した.

2002 たいてい.仕事ワールドカップは開催国資格で予選を経らないで本選に直行した.

2006 ドイツワールドカップでは 1次予選モルディブ遠征で 0-0で引き分けるなど拙戦を広げてウムベルトコエルリュ監督が中途の退陣したりした.

4勝2分けで 1次予選をパスした後最終予選でもサウジアラビアに二度皆敗れるなど 3勝1分け2敗でかろうじてワールドカップ本選舞台に上がった.

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