【ついに】ロマーリオスレ【引退?】

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ロマーリオの伝説(ネタではなく実話)

・「1000ゴール」の一点目は13歳の時
・それを含めて79点までのゴールはユース以下で決めたゴールだが、得点率はプロ入りしてからの方が高い
・1000ゴールまでにロマーリオ本人が数えていないゴールが32点あり、1000ゴールは実は1032ゴール目
・公式戦でのゴール数ではすでにペレを凌いで史上最多
・公式戦でのハットトリックは63回
・ワールドユースに出られなかったのは代表監督の奥さんと浮気したため(当時19歳)
・ヒディングを除くすべての監督とやり合う。
・ロマーリオの友人でロマーリオ本人が推薦して監督になったレナト・ガウショも犠牲者の一人
・中でもヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督はロマーリオにチームから追い出された
・後に代表監督になったルシェンブルゴはロマーリオの召集を拒否していたが、サッカー協会が無理やり召集した
・その試合でハットトリック
・PSVを退団した1つの理由は「寒いから」(イングランドやイタリアからのオファーを断る理由も同じ)
・しかし「暑いから」という理由で試合中サボっていた事を公言した事もある
・その試合は2アシスト。ともに屋根の影からでたくないゆえ、中央付近からのスルーパス
・バルセロナ入団の時に30ゴールを保証。
・同じ年のW杯予選ウルグアイ戦では2ゴールを保証
・ともに宣言通りのゴール数を決めた
・試合中に相手選手を蹴ったのは2回、殴ったのは1回
・味方選手を殴ったのは1回
・前科2犯も暴力と麻薬での逮捕はまだない
・でも、ニワトリ男は殴った
・自分でナイトクラブを経営するほどの無類の夜遊び好きも15歳以来酒は飲まない
・試合の日以外は所在不明となる事が度々
・しかし試合の日には現れて貴重なゴールを決めていた
・仕方がないのでチームもロマーリオのサボりに「科学的な」理屈をつけて擁護した
・カーニバルの時期に練習に行ったら、それがニュースとなった
・バルサ時代は例外的に練習熱心で、練習開始の5分前にはかならず現れていた
・しかし練習終了1分後には消えていた
・一度だけ練習に遅れて、クライフから「罰金かハットトリックか」と迫られハットトリックを達成した
・フラメンゴに移籍金するためにバルサの召集期限を無視して、自分の移籍金を自分で集めた
3  :2007/09/12(水) 00:17:49 ID:U9CcSn1t0
・デング熱に罹ったまま試合に出た事があるがさすがにゴールはしていない
・しかし脚の付け根を傷めて走れない状態で2点取った事はある
・4年無給でプレーしたと主張している
・2週間失踪したと思ったらアメリカに移籍していた
・父親が誘拐された時、「父親が解放されなければW杯には出ない」と犯人を脅して解放させた
・フランスW杯のメンバーから外れた時、ブラジルの世論調査で70%が「優勝は無理」と答えた
・「代表は救済機関じゃない」「俺が代表に選ばれないのはおかしい」「リザーブなら出ない」等代表の権威を軽視する発言を繰り返した
・ブラジル代表は問題児を敬遠する傾向があるが(そのせいで代表としてのキャリアが少ない名選手は多い)、ロマーリオだけは替りがいないので代表がピンチとなった時に呼び戻された
・規律を重んじるルイス・フェリペ・スコラリ監督はロマーリオを代表選べとの国民の圧力で倒れた事がある
・ロナウドと2トップを組んでロナウド以上にゴールした唯一の選手がロマーリオ
・クライフもマラドーナもロナウドを評する際にロマーリオを引き合いにだして「まだこの域には達していない」と語っている
・マラドーナですら言葉を選ぶペレに数度に渡って暴言を吐く
・特に「ペレは黙っていれば詩人」は至言
・欧州でプレーしたシーズンの内、怪我をした年とシーズン中にブラジルに帰った年を除いた5シーズンで得点王になれなかったシーズンは1度だけ
・しかし、同シーズンのチャンピオンズリーグでは得点王
・2000年には公式戦で72得点、5つの大会で得点王となる
・2005年39歳にしてブラジルリーグで得点王に返り咲く
・しかもシーズンの1/4は遊びながら、残りのシーズンをまじめにプレーしての結果
・今までにした引退宣言は4回
・すべて撤回
・引退しない理由は「下手な奴ばかりだから」(ロマーリオにかかればカカもロビーニョも「たまに良いプレーをする選手」)
・ロマーリオはサッカーのレベルは衰退していると主張しているが、その根拠は「俺がまだゴールを決めている」
・引退しても監督にならない理由は「ロマーリオみたいな選手がいたら俺には我慢できないから」
・41歳にして今日現在16試合で15ゴール、ハットトリック3回