ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー3263

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(ソウル=聯合ニュース)イ・ヨンホ記者=朴ソンファ監督がオリンピックサッカー代表チー
ムの指令塔で確定しながら,2004年20才以下アジア青少年選手権大会を通じて,スターダム
に上がったパク・ジュヨン(22.ソウル)の復活有無にサッカーファンらの関心が集まって
いる。

パク・ジュヨンは2004年10月マレーシアで開かれたアジア青少年選手権大会で当時指令塔
だった朴ソンファ監督の全面的な支持と訓練を通じて,韓国サッカーを導く次世代ストラ
イカーに新しく生まれた。

パク・ジュヨンは特に中国と決勝戦で幻想的なドリブル実力を誇りながら'私一人で' 2ゴ
ールを(抜き取る)奪いながら,大会MVPと得点王(6ゴール)を占める光栄も占めた。

パク・ジュヨンは2005年1月カタール親善大会でも5競技を払いながら,ハットトリックを
含んで,9ゴールを放って'サッカー天才'というニックネームまで得たし,その年K-リーグ
にデビューして,何と18ゴール(カップ大会含む)を放ちながら'パク・ジュヨン症候群'を
続けた。

だがパク・ジュヨンは昨年ものすごい2年目ジンクスに苦しみながら,アドフォカート号の
一員でドイツワールドカップに行ってきた後,終わり分からない不振の沼に落ちたし,代表
チームでもますます押し出されて,しばらくベアベック号の招請を受けることができなく
てドーハ アジア競技大会エントリーにかろうじて名前を上げた。

パク・ジュヨンの不運は今年も続いた。

去る3月K-リーグ カップ大会でハットトリックを打ち上げながら,復活の意志をより高め
たパク・ジュヨンは突然な足の甲浮上(負傷)で2008北京オリンピック男サッカーアジア
地域2次予選でただ1競技だけ走ったし,ひきつづきアジアンカップ エントリーにも脱落す
る悲しみを味わわなければならなかった。

こういう状況でパク・ジュヨンは全盛時代を一緒にした朴ソンファ監督がオリンピック代
表チームを引き受けることになりながら,その間の不振をはたいて新しい転換点をむかえ
ることができる機会を得ることになった。
朴監督は2004年2月中国,湖北省で開かれたスタスコププト パク・ジュヨンを着実にスト
ライカーで起用しながら,スター誕生の道を開いてくれたし,パク・ジュヨンやはり優れた
ゴール決定力を前面に出して,朴ソンファ号の常勝疾走を導いた。

このために22日ウズベキスタンと北京オリンピック アジア地域最終予選1次戦を控えた朴
監督は誰より長短所をよく把握しているパク・ジュヨンに復活の席を用意する可能性が高い。

まだ足の甲浮上(負傷)で全快できないパク・ジュヨンが直ちにウズベキスタン前からグ
ラウンドに出ることは難しいようだが最終予選の初めての峠になるバーレーン遠征(9月8
日)から朴ソンファ号に力を吹いてくれることができるものと見られる。

horn90@yna.co.kr (終わり) 2007/08/03 16:17送稿