ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー3259
'韓日戦'であるために可能だった勝利
2007年07月29日(日)01時01分 プラマ
戦術の勝利も技量の勝利でもなかった。 ただ日本に敗れてはいけないという闘魂の勝利であった。
28日インドネシア パレンバンのケルロラスリジァウィヤスタジアムで広がった'AFC アジアンカップ 2007
(以下アジアンカップ)'で大韓民国代表チームがPK戦まで行く血戦終わりに日本を6-5で押して今回の
大会3位に上がった。 この日勝利で大韓民国代表チームは2011年アジアンカップ本戦直行チケットを
手に握ることになった。
韓日戦なので可能だった勝利
宿敵日本を破ったという喜びは話せないが事実京畿(景気,競技)内容面で見る時,この日大韓民国
代表チームの競技力は以前京畿(景気,競技)で露出した弱点をそのまま表わした惜しい姿だった。
チームトップ チョ・ジェジン 銀今日も日本守備陣に孤立になって立派なチャンスを捉えられなかったし
日本はチャンスを得点に連結できなかっただけ威嚇的な場面をさらに多く作り出した。また,いくら
主審判定が釈然としなくてもテクニカル エリアを越えて,日本ベンチを横切って,腐心に抗議したコーチング
スタッフの行動は指摘受けなければならない部分だ。
退場状況でも冷徹に,ベンチで選手たちに戦略地時をしなければならなかったコーチングスタッフが瞬間の
災いをこらえることができなくて大量に退場させられたことは非難されなければならない短い判断だった。
実際にコーチングスタッフの不在は延長戦が終わる時まで戦術不在という致命打を抱かれたし京畿
(景気,競技)を誤らせることができた無謀な行動だった。
色々な悪条件の中でもこの日京畿(景気,競技)で勝利できた原因は'韓日戦'だったためだ。 非難世論に
直面した大韓民国代表チームの最後の競技で広がった韓日戦は'日本には負けられない'という動機
付与になったしこれはピッチ委で闘魂として作用した。
数的劣勢と体力低下でも日本の無数のシューティングを防ぐことができたことは日本にだけは負けたくない
という選手たちの精神力のためだった。 その精神力が崖に追い出された大韓民国代表チームに勝利を
抱かれたのだ。
だが,京畿(景気,競技)に勝ったことは勝ったことで相変らずこの勝利が胸の中で素直に飲み込めない。
単純に宿敵日本に勝ったという喜びに全てのものを許すには以前京畿(景気,競技)を通じて,引き続き
露出した問題点が相変らず改善されなかったという不満が残る。イラン,イラク戦より良い競技力を見せた
ことも選手たちが負けてはいけないという闘魂の産物であってピム・ベアベック監督の戦術と競技運営
能力による勝利ではなかったためだ。
手に負えないけれど日本をPK戦で押した。 そして日本に勝ったという喜びと共に次期大会本戦進出権
というボーナスも捉えた。しかしつくことは確かめて行かなければならない。冷静に今回の大会を決算して
補完しなければならない点は補完してこそ今後の未来がより一層明るいだろう。