ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー3094
彼らは韓国をパク・チソンで憶える
[朝鮮日報 2007-02-02 01:59]
http://imgnews.naver.com/image/023/2007/02/02/2007020100863_0.jpg プレミアリーグで活躍する我が国の選手たち
イギリスサッカーは考えだけでも興奮になる.熱情と覇気,闘魂が生きている所.週末ごとに熾烈な戦争が開かれる緑グラウンド.肉をえぐる寒気までとかしてしまうサポーターたちの喊声.サッカー宗家の熱情はすごい.
その真ん中を歩き回る韓国であるフリー米語リーガー,パク・チソン(マンチェスターユナイテッド),イ・ヨンピョウ(トトノム),ソル・キヒョン(レディング)があるからその熱気はもっと熱く感じられる.ここに最近ミドルズブラーに入団したイ・ドングまで.
韓国?パク・チソンが生まれた国ですか?
イギリスで ‘韓国’ 音を一番多く聞く時は多分サッカー中継を聞く時であるでしょう.キャスターたちがパク・チソンやイ・ヨンピョウ,ソル・キヒョンなどを叫ぶ時ほとんど漏らさないで ‘South Korean’を付けてくれるからだ.
まだ韓国がどこにあるか知れないかなり多い数イギリス人たちにこれらはサッカー外交官に違いない.
2006年の初めだった.‘ 限り・本当に相互訪問の年’を記念するための行事場所にジャックストローの前(前) 外相が祝辞を送った.
“韓国は 2002年ワールドカップを通じて文化国家の位相を見せてくれたし….” やはりサッカー宗家らしい話法だった.ここで止まなかった.
“またマンチェスターユナイテッドで走っているとても重要な選手を排出した国でもあります.” 耳にぐいっと入って来た.
初シーズン 30億ウォン位の年俸を記録したパク・チソンは今度シーズン年俸 52億ウォンに契約条件を更新しながら名前を高めた.
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‘No’を ‘Yes’に変えた,障りない彼らの疾走
“サーブ (候補という意味) 情でもないか?” 2005年イギリス記者たちに初耳な言葉だった.
パク・チソンの入団を置いてイギリスと韓国皆話題になったが,イギリス記者たちの反応はなま暖かかった.
現場へ来たニュースエーシェンシー社である ‘PAスポーツ’と伝統の ‘ザ・タイムス’ 記者などは “サーブ名簿にだけあげても良い位?”と言いながら一律的に応じた.
トトノムのイ・ヨンピョウも派手な賛辞が後に従ったのではない.“主戦たちが移籍したから漁利で出場すれば幸い”という観測がおこった.しかし彼らは違った.
パク・チソンとイ・ヨンピョウを正正堂堂としている主戦と認めるまでまだ3ヶ月がかからなかった.
普通他のヨーロッパリーグから来た選手たちが最小 6ヶ月位を適応期間にすることに比べれば本当に軟着陸したわけだ.
初めにはそのように悲観的で鋭い定規を突き付けた彼らがいつのまにか心の門を開き始めたのだ.
チャンピオンシップ(2部リーグ)で 2年間小骨の太いソル・キヒョンははじめから ‘隠された宝石’で注目された.
普通アジア係選手たちが大大的なマーケティングと企業後援を後に業苦プレミアリーグをノックすることに比べればこれらは本当 ‘実力’で勝負して成功したのだ.
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実生活で入りこんだ韓国選手の位相
マンチェスターのある留学生はこんな話をした.パク・チソンが入団する前までにしても大部分の留学生は中国であるあるいは日本人だったと言う.
特に中国出身であるスンジハイがマンチェスターシティで走っていたから ‘東洋人=中国人’と言う(のは)公式がよく成り立った.
しかし今は違う.マンチェスターユナイテッドホーム球場であるオールドトレポドではこの間 ‘コリアンデー’ 記念で太極旗が掲揚されたりしたし,最近競技場でも太極旗がひるがえる姿を見られた.
公式ショッピングセンターであるメガストアで ‘J.S.PARK’が刻まれたティーシャツを購買する比重も高くなっている.
中国人という冷やかし?当然消えた.パク・チソンだけではない.レディング史上一番高い移籍料(150万パウンド)を記録してチームを移したソル・キヒョンはもうチャンピオンシップからスターだった.
アーセナルとの北部ロンドンダービ(ライバルチームとの競技)の毎にほとんど戦争一歩直前雰囲気を催すトトノムのイ・ヨンピョウも主戦守備手に名前を揚げている.
グラウンドに彼らの名前が広がって,数万観衆は一斉に沸き返える.堂々な韓国人の自負心.彼らが見せてくれている.ここにイ・ドングが加勢して 3人が 4人で増えた.もう手始めであるだけだ.
[催補つや者
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