ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー3022

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負傷から帰って来たゾングインファン(左)と李剛陣(右) c。スポタルコリア

負傷から帰って来た李剛陣(釜山)とゾングインファン(全北)が日本を相手で真価を発揮した.

李剛陣とゾングインファンは 21日日本東京国立競技場で開いた日本オリンピック代表チーム(U-21)との評価試合で中央守備コンビに出て 90分を消化した.

二人の選手は 4百守備ラインの中央で呼吸を合わせたし, 左右フルバックであるアンテウン(ソウル)と金蒼水(大田),
そして守備型ミッドフィルダーで積極的に守備に加わってくれた李要した(仁川) などとともに守備を堅固にした.
たとえ韓国の左側側面を踏み躪ったみずのの活躍によって 1ゴール(Masudaゴール)を許容したりしたが, 合格点を与えるばかりした.

李剛陣は特有の安定した守備ライン統率と早い位置選定で日本の攻勢を效果的に受け止めたし, ゾングインファンも 187cmの堂々な体格を土台で
パワーあふれる守備を駆使した. ‘化け物’と呼ばれるHirayamaやっぱりも李剛陣とゾングインファンの巧みな守備に支えてこれといった機会をつかむことができなかった位.

何より李剛陣とゾングインファンの活躍が嬉しいことは二人の選手皆負傷で回復してから間もないから.

先に李剛陣は去る 7月 28日三星ハウゼンコップ大田との競技で足首靭帯負傷にあったし, これにより日本に渡って東京ヴェルディ義務チームとともに
ずっとリハビリテーションにだけ沒頭した.
10月末に韓国に帰って来て徐徐に身を鍛えた李剛陣はベオベック監督のオリンピック代表チームにまた抜擢したし,
結局日本との 2次戦で選抜に出て久しぶりにフィールドを歩き回った.
ゾングインファンも 9月 28日 2軍警期途中顔面骨折を負ったし, 結局手術まで受けて苦難の時期を送らなければならなかった.
これにより待ちこがれたアジア大会出場も死んでるなど大変な時期を送らなければならなかったが, 意外に回復速度が早くてまたベオベックホに合流した.
李剛陣と同じく昌原での 1次戦では出ることができなかったが, 遠征 2次戦で心強い守備壁役目を遂行する姿.

しかも二人の選手は容認ポゴックチォで一緒に呼吸を合わせたし, 2002年 U-16 代表チームでも一緒にしてアジア選手権優勝を導いたりした.
以後にも 2003年フィンランド U-17 世界選手権と 2004年 U-19 アジア選手権, 2005年オランダ U-20 世界選手権までずっと一緒にして呼吸を合わせて来たうち.

ここにユン・ドクヨ監督(U-17 代表チーム時代)とパク・ソンファ監督(U-20 代表チーム) 下で 4百守備に対する基礎を確かに磨いたし,
現所属チームでも皆 4百を駆使するからベオベック監督が駆使する 4-3-3 システムに対する適応島が高いということも強点だ.

重要な時期に負傷の悪夢にうなされなければならなかった李剛陣とゾングインファン.
もう並んで負傷を踏んで, オリンピック代表チームの主軸守備手に位置づけることで期待される.