ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー2855
[ハンギョレ新聞 2006.06.24 20:54:28]
韓国代表チームが結局アルプス山脈を越えることに失敗した.
韓国チームは 24日(韓国時刻) G組組別リーグ 3次戦スイス前で韓国サッカー特有の闘志
と圧迫, 機動力を先に立たせて奮戦した. しかし韓国サッカーが越えるのにまだアルプス
の壁, 世界の壁は高かった.
それでは韓国チームに何が不足なことだろう?
早いだけでは限界 = ディグアドボカト監督はこの日競技(景気)が終わった後記者会見で
“韓国チームが他のチームに比べて早くはあったが, ヨーロッパのリーグに比べるとどう
しても不足な点があった”と言った. 一口で言えば, 機動力だけ国際競争力があるという
指摘だ. 実際競技で韓国選手たちは個人技術や競技運営で大きく立ち後れるのが目に見え
た. 以前のトーゴとフランス前で韓国のミッドフィルダーたちは球を取って相手陣営を向
けてまともに後ろ向きになることもできなくて後でバックパスだけやっつけた. また守備
は球をミッドフィルダーに連結しようと思うよりは直接最前方に長く渡してやる単調な競
技のみを開いた. これは韓国サッカーが個人技術や競技運営能力で他の国選手たちに比べ
て大きく水準が落ちることを見せてくれる例だ.
一貫された準備の不足 = 4強神話を成したフース・ヒディンク監督は韓国チームを 1年6
ヶ月間調練したが, アドボカト監督は去年 10月から 9ヶ月しか時間がなかった. 時間に
追われたアドボカト監督は新しい選手を掘り出すより経験ある選手主としてチームを立て
るしかなかった. また技術と競技運営能力の不足は訓練を通じて埋めるしかないのにこん
な時間もなかった. アドボカト監督はこの日記者会見でヒディンク監督の時の代表チーム
運営を意識したように “韓国チームがワールドカップで良い結果を出すためには 5~6ヶ
月がもっと必要だった”と言った.
日本は 2002 韓-日ワールドカップ直後ジーコ監督を先任して 4年間一貫されるように準
備をしたし, 他のヨーロッパチームも 2002 韓-日ワールドカップまたは流路2004をきっ
かけで監督を先任して準備をして来た. 一方韓国は 2002年以後ウムベルトコエルリュ,
ゾ・ボンプレレ, アドボカトなど全然色が他の 3人の監督に代表チームの指揮を任せた.
不運も重なった = アドボカト監督は就任であると言うイ・ドング中心に攻撃陣容を荷担
ドムオワッウや, ワールドカップ直前イ・ドングが不意の負傷で脱落しながら攻撃力に大
きい穴が生じた. イ・ドングの空白をチョ・ゼジン, アン・ジョンファンなどを投入して
埋めたがやっぱり破壊力と重みでおくれることを避けることができなかった. また今度大
会で闘魂を発揮して相手攻撃手を徹底的に封鎖したキム・ヨンチョルが一番重要なスイス
前に太もも負傷に欠場したことも惜しい書き入れ時だ.
チェ・ジンハン 2002 韓-日ワールドカップ代表チームコーチは “アドボカト監督が韓国
選手たちをまともに把握する時間がなくて経験がある選手たちにたくさん寄り掛かったよ
うだ”と “9ヶ月の迫って急な時間の中で韓国サッカーと選手ひとりひとりの特性と能力
を把握するには限界があったこと”と言った.
オテギュ記者
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