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ホン・ミョンボ理事、代表チームコーチでいきなり合流

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代表チームコーチに先任されたホン・ミョンボ理事 c。KFA 洪席菌

‘永遠なリベロ’ ホン・ミョンボ大韓サッカー協会理事が 2006年ワールドカップ代表チームコーチ
ングスタップにいきなり合流する。

カン・シンウ技術副委員長は 26日ブリーフィングを通じて “ディグアドボカト新任監督の要請に
よってホン・ミョンボ理事が代表チームコーチで合流するようになった”と発表した。

川副委員長の言葉によれば去る 9月 23日アドボカト監督が家涯県対外協力部長に e-メールを
通じてホン・ミョンボ理事のコーチ合流を希望したし、イ・ヘテク技術委員長と対話を交わした
洪理事が要請を受諾したことと知られた。

これとして代表チームは新任アドボカト監督の指揮の下、フィム・ベアベク首席コーチ、ホン・ミョンボ
コーチ、アブシンゴトゥビコーチにつながるコーチングスタップ人選を概括的に終えた。

ゴールキーパーコーチはアドボカト監督入国以後決まるはずで、フィジカルコーチはイラン前が
終わった後追後に決まることと知られた。

代表チームと係わったホン・ミョンボコーチの追加契約事項もアドボカト監督入国後決まる。

ホン・ミョンボコーチは代表チーム合流を決めた後 “もっと多くの勉強をしたくて差し置いたが新任
監督様と技術委員長様の要請を受け入れた。どうせお手助けになろうとすれば現場から積んだ
行くことが遠くなる前に助けることが最善と思った”と言う言葉を伝えたことと知られた。

ホン・ミョンボコーチは来る 10月イラン戦を控えている代表チーム召集時本格的にチームに合流
する予定だ。アドボカト監督とは来る 29日に予定される入国の時の空港であいさつを交わす予定だ。
ホン・ミョンボコーチプロフィール

名前ホン・ミョンボ (洪明甫、HONG Myung-Bo)

1.生年月日 : 1969年 2月 12日

2.出身校(チーム)
ソウル広場初(1975年 ~ 1980年)
ソウル狂喜中(1981年 ~ 1983年)
ソウル東北高(1984年 ~ 1986年)
高麗大(1987年 ~ 1990年)
常務(1991年)
浦項スチロース(1992年 1月 ~ 1997年 5月)
ベルマーレヒラツカ(日本、1997年 6月 ~ 1998年 12月)
Kashiwa Reysol(日本、1999年 1月 ~ 2001年 12月)
浦項スチロース(2002年 1月 - 2002年 11月)
LA ギャラクシー(アメリカ、2002年 12月 - 2004年 10月)

3.家族 :妻チョ・スミ(1997年 3月結婚)、2男(精敏、ソングミン)

4.受賞経歴
- 1992年 Kリーグ MVP
- 1992年、1994年、1995年、1996年、2002年 Kリーグベスト 11
- 1993年ワールドカップアジア最終予選ベスト 11
- 1994年 AFC(アジアサッカー連盟) 守備上
- 2000年アジアンカップベスト 11
- 2000年 Jリーグベスト 11
- 2002年ワールドカップブロンズボル(個人 3位)
- 2003年 FIFA 選定世界 100大サッカースター
5.主要国際大会参加経歴
- 1984年アジア U-16 青少年大会
- 1990年 6月イタリアワールドカップ本選
- 1990年 8月ダイナスティーカップ(優勝、中国北京)
- 1990年 9月北京アジア大会
- 1990年 10月南北統一サッカー大会
- 1991年 7月ユニバーシアード大会(優勝、イギリスシェフィールド)
- 1992年 7月ダイナスティーカップサッカー大会(中国北京)
- 1993年 6月コリアカップ
- 1994年 6月アメリカワールドカップ本選
- 1994年 9月広島アジア大会
- 1995年 6月コリアカップ
- 1996年 12月アジアンカップ本選(UAE)
- 1998年 3月ダイナスティーカップ(日本)
- 1998年 6月フランスワールドカップ本選
- 1999年 6月コリアカップ
- 2000年 2月北中米ゴールドカップ(アメリカ)
- 2000年 10月アジアンカップ本選(レバノン)
- 2001年 1月香港carlsbergカップ
- 2001年 6月コンフェデレ―ションズカップ
- 2002年 6月 2002 ワールドカップ本選

6.国家代表 Aマッチ出場 : 135競技出場 / 9得点

7.プロ出場
- Kリーグ : 156競技出場 / 14得点 (1992年 - 1997年。2002年、浦項)
* 1992年 Kリーグ優勝
- Jリーグ : 114競技出場 / 7得点 (1997年 - 2001年、ベルマーレ、Kashiwa)
* リーグコップ 10競技 2得点、FAカップ 11競技 3得点別途
8.世界オールスター戦参加 : 4回
-. 1994年 12月 28日.ローマ.世界オールスター vs ASローマ
-. 1994年 12月 30日.ミラノ.世界オールスター vs ACミラン
-. 1995年 8月 30日.東京.ヨーロッパオールスター vs 非ヨーロッパオールスター
-. 1997年 12月 4日.マルセイユ.ヨーロッパオールスター vs 非ヨーロッパオールスター

9.その他記録
- 歴代韓国選手最多 Aマッチ出場(135回)
- 歴代韓国選手ワールドカップ本選競技最多出場(16競技)
- 韓国選手最初のワールドカップ個人賞受賞(2002 ワールドカップブロンズ賞)
- Kリーグ最初の新人選手 MVP(1992年)
- 世界オールスター戦韓国選手最多参加(4回)
- 韓国選手最初の外国クラブチーム主将(日本Kashiwa Reysolクラブ、2000年)
- 韓国選手最初の FIFA 選手委員会委員

文:西戸庭 2005-09-26