ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー2512
トイルクゾンサイ・ウルヨン国際電話哀訴
[京郷新聞 2005-09-23 22:24]
22日午後 9時36分. 空腹さをなぐさめるために別味である ‘ラーメン’を沸かしてちょうど一御箸を取る
瞬間携帯電話ベルが鳴った.
差出人番号をよく見たら 0905?379522XXXだった.
‘何の電話だ.’
カード会社や何かサラ金会社からかかって来たspamゾンファゲッジという考えにかんしゃくまじた声で
電話に出る瞬間….
顔なじみの声だった.
“こんにちは. 私ウルヨングです.” ちょっと江原道なまりがまじたのがトルコリーグで活躍している
‘トイルク戦死’ イ・ウルヨン(30・Trabzonspor)が間違いなかった.
ラーメンを果敢にあきらめてイ・ウルヨンとせっかく話に花を咲かせた. 先に呼ばない渡した.
>>235 ▲“トルコサッカー, このごろお金があふれます.”
“私はよくあります. チーム成績も良くてチーム私の雰囲気も良いです.” 家族の安否を聞いた.
“妻男結婚式があって妻して二人の息子は帰国して今は一人でいます.”
2002年韓・日ワールドカップが終わった後大極戦士の中一番先に海外で進出したイ・ウルヨンは 2002~
2003年トルコリーグで活動した. 2003年 7月国内で復帰したイ・ウルヨンは FC ソウルで 1年間走った後
またトルコに渡って 2004~2005シーズンを消化するなど来年 6月まで現チームで走る予定だ.
初めてトルコに渡って気苦労はもちろん金銭的な問題で球団と摩擦があったということを誰よりよく分か
っていたはずで控え目にお金問題を取り出した.
“あらら, それは昔の話ですよ. 今トルコは競技(景気)好況で球団たち資金がすごいです. 味方も 2年前
から株式を公募したが今はお金があふれます. フランス代表チーム出身であるアネルカなどが走ってい
るなどオランダリーグより大宇が良いです.”
ちょっと心配が解けた.
時間が経ちながら自然に代表チーム話につながった. 特に前国家代表チームのボンプレレ監督がインタ
ビューでイ・ウルヨンを置いて “年上で遅い”と話したことに対しては名残惜しさを現わした.
>>236 ▲“私に遅いんだって?”
“いやまったくもう, 今までサッカーをしながら他のものは分からなくても老けて, 遅いという話は初耳だったです. ”
すごく息苦しくて荒唐だという声だった.
“2006年ドイツワールドカップアジア地域バーレーン前(2004年 7月10日)で負傷に後半に入れ替えされて,
アジアンカップ UAE展(2004年 7月23日)に出場した後には一度も (ボンプレレ監督が) 見なかったです.
そんな状況で私に対してそのように言うなんて納得できない事です.”
実際にイ・ウルヨンはその間 1年以上ボンプレレ監督から徹底的に外面にあっても代表チーム問題に対し
ては言葉を惜しんだ. 監督が変わると今はくちを切った.
“そういえば選手起用は監督の分け前です. ただ選手に対するまともに評価が成り立たない状態で先入観
を持って選手の技倆を判断することは正しくないです.”
彼は新しいアドボカト監督とフィム・ベアベクコーチに対しては肯定的な評価を下した.
“立派な監督だと聞きました. ベオベックコーチは 2002年の時一緒に呼吸を合わせてよく分かっている.
能力のあるコーチです.”