ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー2503
226 :
ドフンA−1:
個人最多ゴールで Kリーグ歴史使ったキム・ドフン, "私はサッカーで幸せです"A
http://www.kfa.or.kr/interview_img/050916kimdh1.jpg 代表チーム仲間だったユ・サンチョルとボルダトムをするキム・ドフン c。KFA 洪席菌
- jリーグでも 2年連続 10得点以上を記録しました. 初めてする海外生活だったがチーム内に韓国選手も多くて面白かったようですが?
はい, 石柱兄さん, ソングヨングと一緒に面白く過ごしたんです. 日本にいらっしゃる韓国方々が多くのお手助けになったんです. 訓練のない時はあちこち歩き回りながら
良い人々ともたくさん付き合いました. その中には今も連絡する方々もいます.
- 2000年にまた国内で復帰しました. そんな変化の時期に普通スランプも経験する法一所にキム・ドフン選手は表面積にスランプはよくなかったようです.
私とどうしていなかったんですか. 全然なくはなかったんです. しかしそうなのをよく乗り越えて来ました. そんな部分においてリーダー方々, 家族たち, 先輩たち
皆私をよく導いてください. それがスランプを早くかきわけて行くことができた力です. 外部にちゃんと見えなかったし私が大きく苦しまないでよく勝ち抜けたからだが,
実は大変なスランプもかなりありました. 痛くても我慢して走らなければならなかった時もあったんです,
227 :
ドフンA−2:2005/09/16(金) 21:36:42 ID:jt1iff/P0
- 多くの人々がキム・ドフン選手は全北で選手生活を仕上げると思いました. しかし城南で移籍しながらサッカー人生の大きい渦に巻き込まれなかったんですか?
- 日本への利敵説もあったんです.
私はその時現役生活終わるかと思いました. 本当にこれからは引退するかと思ったんです. その時が選手として最大の困難があった時期でした.
全北で考えのように問題が解かれなかったし結局城南なのか日本なのか悩みをしました.
それでも城南で決めるようになったことは私をプロに導いてくださったチァギョングボック監督様が積極的に手を突き出してくださったからです. 年上で年俸多い選手を
連れて来ることなのにチームも半ば信じ半ば疑うことができる部分があるんじゃないですか? しかし監督様が団長様を含めた球団人々をよく説得してくださったし
私をよく導いてください.
そんな過程を経って城南へ来るからその年にも来るのが生ずるんですよ. たとえ私が老長だが技倆がさびなかったということを見せてくれたかったです.
私をおこがましく分かる人々にもサッカーで一発食べさせてくれたい心情と言えよう. 結局良いメンバーたちがいる状況でチームの優勝, 得点王など
良い結果につながったんです.
http://www.kfa.or.kr/interview_img/050916kimdh2.jpg Kリーグでのプレー中の姿 c。KFA 洪席菌
228 :
ドフンA−3:2005/09/16(金) 21:39:18 ID:jt1iff/P0
- 2003年当時した得点王レースは多分歴代シーズンの中で一番熾烈な競争だったはずです. 当時マグノ?, ドド, イタマル三つのブラジル選手と先に進んだり
- 後に従ったり一端に結局得点王を争取しました.
その時ストレスもたくさん受けたんです.(笑い)
しかしその時は一緒に走った選手たちが私に本当に献身的によくしてくれました. その選手たちがいなかったらあの時のように得点王をすることができなかったはずです.
私たちが早目に優勝を確定したこともあったが競技(景気)の勝敗に構わずに私のために犠牲したからです.
そしてファンが私にたくさん応援してくれたのも大きかったんです. どうしても韓国人と外国人の対決様相だったし腕は中に焼くのだからファンが私を押してくれたようです.
もしここがブラジルだったら絶対に中そうだったです. 国内選手たち自尊心建てようと熱心にする姿が格好よかったのか競技場に立てば私に
旗を仏語入れてくださるようですよ.(笑い)
- 去年には惜しく AFC チャンピオンスリーグ優勝を目前で逃しました. むなしさも大きかったでしょうに.
去年同じ場合は私たちが Kリーグよりはチャンピオンスリーグに力を注いだことが事実です. それで本当に惜しいです. そのメンバーで私たちの選手たちができる最善の努力を
すべてした結果だと言うがサウジ遠征で勝ったが 2次戦であるホームでむざむざ負けたからです.
その恨み番(回)の敗北で味方が失ったことはおびただしかったです. 皆チームのために献身的に走ったが一瞬にその努力が崩れたわけだったからです.
監督様も去らなければならなかったし. それでも準優勝という結果は当時私たち全力で成すことができる最大限のギョルグァヨッダゴも思います.
それを通じてチームも一段階アップグレードになったのが事実です.