ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー2503

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[コラム] キム・ジョン山 - 負ける時も拍手する演習を

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小説家キム・ジョン山さん c。中央M&B 提供
9月 16日付け韓国経済新聞に載せられた小説家キム・ジョン山さんのコラムです。
大韓サッカー協会ホームページに掲載を承諾してくださったキム・ジョン山さんに
感謝いたします。
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ボンプレレ監督には戦術がないと人々は責めた。相手の戦術を読んで対処する能力が
不足だというのだった。選手入れ替え時期も問題になったりした。

もちろん彼は自分に零れ落ちた疑いたちを否認した。彼の言葉を総合して見れば一言
でまだ過程にあるというんだった。すべての時計はワールドカップ本選に合わせられて
いるからあの時まで信じて見守ってくれという主張だった。

ボンプレレ監督を更迭したのがなるほどお上手な事かは誰も分からない。たぶん永遠に
分かることができないだろう。

しかし私は現場で代表チームを導く監督が一般観衆たちもすべて分かる戦術が分から
なかったと見ない。選手入れ替えも同じだ。観衆たちが見るのに状態の良くない選手が
監督目によさそうに見えるわけない。そしても入れ替らなかったらあたりまえな理由が
あったはずだ。

監督は選手を隅隅まで把握しなければならない責任と義務がある。極限状況でいくら
耐えるのか、コンディションが良いとか良くない時技倆冷たくはどうかを目を注いで観察
することも後日に備えた責務の中一つだ。
ボンプレレ監督は専門家だ。サッカー協会技術委員たちも同じだ。

私たちみたいなビジョン門際はたとえ監督の競技運営が気に入らなくて批判することは
できても不満を表現する水準で止まなければならない。今度のように魔女狩り式世論
集めで更迭までさせてしまうことは度を超えた越権と同時に傲慢だ。

監督は機会いる度に自分がまだ過程にあって、これから選手たちを調練する方法と
計画があり、来年本船で必ず良い結果を見せてくれると数えきれなく訴えた。

契約する当時特命の中一つだったワールドカップ本選進出も去る 6月クウェート遠征
競技でホームチームを 4-0で大破して早目に確定した。安心した彼は東アジア大会
ほどは練習試合と思ったようだ。

韓国サッカーファンが練習試合の内容と結果を持ってそのように苛酷に急き立てること
あらかじめ分かったら十中八九彼も他の方法を選ばなかっただろうか。

今度騷動を経験してもう一つ恐ろしいことは我が社会の世論形成過程だ。トイレ落書き
みたいな黄色言論とインターネットを占領した正体不明のネチズンたちが結託すれば
どんな問題にも誣訴ドル上の威力を発揮するのがこのごろの憂わしい世相だ。

匿名後に隠れて無責任な文等を濫発していながらも事情が不利ならば幽霊のように
消えてしまう彼らが今我が社会の世論を主導する。

案の定、ここにまた薬屋甘草のように政治家が加勢してサッカー協会に対する国政
監査を要求して出る。一体サッカーと国政が何の関係か?税金云云は名分のための
名分なのを誰もすべて分かる。

ご飯匂いさえ嗅げば匙を持って走って来る薄っぺらなポピュリズム政治は近年に
あまりにもたくさん見てもう本当にこりごりだ。

2002年 4強神話に引き続き私たちは今度ワールドカップ本選 6回連続進出という自慢
の種をもう一つ作った。そんな国は世界をひっくるめて 8ヶ国だけでアジアでは私たち
が唯一だ。

こんな成果たちが神話ではなく真正な実力になろうとすればサッカーを観戦するファン
の意識から変わらなければならない。余裕のあるようにゲームを楽しむ態度、勝敗に
すぎるほど未練がましがらないで相手チームでも立派なプレーを見せれば拍手を
打ってくれる寛容、負けた時も慰めて励ましてくれる成熟した姿勢なしには私たち
サッカー文化の根本的な発展は期待しにくい。

競技ごとに過度に一喜一悲するうちのファンの水準は世界何上ほどなるか?
そんな力量で果して世界最高水準のサッカーチームを所有する資格があるか?
選手と監督だけではなくもう国民とファンが変わらなければならない順番だ。

協会でも監督でも任期が決まれば信じて任せておかなくてはならない中間にしきりに
振って仕事をてんからやめるようにしてはいけない。もっとよくしなさいという批判と
入知恵もいざ仕事を引き受けた人の苦情を勘案すれば程々にすると正しい。

サッカー大会は今後とも永遠に開かれるはずで、その幾多の試合で韓国選手たちは
勝つ時もあって負ける時もあるでしょう。国民とファンは負ける時のための準備と
演習が必要だ。
文:キム・ジョン山2005-09-16