ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー2269

このエントリーをはてなブックマークに追加
[スポーツ広場]北朝鮮サッカーを待って
[京郷新聞] 2005-03-17 17:43
韓国国家代表チームと北朝鮮代表チームの歴代戦績を見れば 5勝2分け1敗で私たちが優位を占めている.
親善競技である南北統一サッカーを除いたら 4勝2分け, 圧倒的な優位を誇るわけだ. しかし北朝鮮サッカーは
ひととき私たちに恐怖の対象だった. 1966年イングランドワールドカップで 8強を果たした事実は南側関係者
たちにほとんど政権的次元の危機意識を催した. どんなにせっぱつまれば中央情報部傘下に代表級選手たちを
一気に処理して集めた ‘陽地’チームを作るまでしただろうか. そんな恐れが韓国サッカー史上最大の
ハプニングに表出されたことがすぐ 1974年テヘランアジア大会だった.

史上初めて中国と北朝鮮が出場するようになったこの大会に参加する韓国選手団の肩の荷が重かった.
北朝鮮との金メダル競争でも勝たなければならないサッカーではもっと負けることができなかった.
韓国は予選 A組, 北朝鮮は B組に編成された. 初盤成績は両チーム皆すぐれなかった. 韓国はタイを
1対 0で難しく勝ったし, 北朝鮮は中国を 2対 0で勝ったがイラクには散って組 2位を占めた.
こんな状況で予選最後の競技(景気)クウェート前を迎えるようになった韓国選手団には非常事態になった.
クウェートを勝って組 1位を占めると 2次リーグで北朝鮮と一組みに入って行くからだった. 北朝鮮を
勝つことができるのかオブヌニャで言い争った人々は結局出たらめな結論を下した. クウェートに
故意敗北に喫して組 2位を占め, 北朝鮮を避けるというのだった. 大会初盤の金メダルレースで
北朝鮮が先に進んで行っていたこともこんな決定のした要因になった. 韓国はクウェートに 0対 4で
負けるさげすまれた.
2次リーグでも南北両チームの行く道は険難でばかりした. 北朝鮮はイスラエルとの競技を拒否してモルスペを
甘受して 2位を占めた. 韓国はイラクと 1対 1で引き分けたがホームチームイランに 0対 2で負けてマレーシア
との最後の競技(景気)を残して置いた. マレーシアを勝てば 2位を占めて北朝鮮と 3・4位戦を行うようになっていた.
奇妙にも 1次予選の時のような状況, 韓国選手団はまったく同じな悩みに陷ったしまったく同じな選択をした.
マレーシアにも故意敗北に喫するというのだった. 優勝候補だった韓国チームは結局マレーシアに 2対 3で
負けてメダル圏で脱落した. しかしハプニングはここで止まなかったから 3・4位戦でマレーシアが
北朝鮮を 2対 1で勝つ波瀾を起こしたのだ.

そんな北朝鮮であり, そんな韓国だったが 80年代以後大勢は逆戦されたし 90年平壌とソウルを行き交いながら
支払った南北統一サッカー以後ではお互いに敵視して恐ろしがるどころか選手たちどうし個人的に友情を分けたり
する関係にまで発展するのに至った. これ以上敵ではない北朝鮮サッカー代表チームが来る 7月31日から韓国で
開かれる第2回東アジア選手権大会に参加するようになる. 親善競技ではない公式競技(景気)では初めの
A代表チームの韓国訪問だ. 北朝鮮が予選をパスして出場権を取ったことも嬉しいが, もっと嬉しい事は私たち
サッカー協会関係者たちが予選が開かれる台湾現地に直接飛んで出場による協議を始めたという点だ.
つとに北朝鮮チームが待たれる. 南北が皆ワールドカップチケットを取った以後なら祭りはもっとゴルパンジルのだ.

〈故遠征/小説家〉