ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー2264

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(ソウル=連合ニュース)玉鉄器者=南北韓サッカー国家代表チームが公式Aマッチを持った
ことは去る93年10月28日カタール渡河で開かれた94年アメリカワールドカップアジア最終
予選以後12年ぶりの仕事だ.

ユンゾングス監督の導く北朝鮮サッカー代表チームが13日台湾タイベイツングサンスタデ?
ウムで開かれた第2回東アジアサッカー選手権大会予選で香港を2-0で負かして予選1位を
占めることで来る7月31日から韓国で開かれる大会本船に参加するようになった.

韓国,中国,日本はもうシード配定を受けて本船に上って来ているから南北韓はフルリーグ
で東アジアサッカー盟主を選り分けるこの大会で正面対決をするようになったこと.

南北韓サッカーが海外ではない韓半島で取り組むことは去る90年10月平壌とソウル蚕室を
行き交いながら開かれた統一サッカー以後15年ぶりだ.

国家代表チームのAマッチは分断以後9番目.

南北間対決は日帝時代民族の関心事だった京平サッカー大会が嚆矢だ.

京平前は1929年京城中学が主軸になった京城チームとスングシル学校が主軸になった平壌
チームがソウル徽文高補運動場で初競技(景気)を持った後毎年一度ずつソウルと平壌で開
かれたが1935年一時腰碎けになった後解放直後である1946年3月ソウルで再開されたが以
後分断が固着化されて歴史の中に消えた.

以後南北韓は30年過ぎるようにグラウンドで遭遇する機会がなかった.

北朝鮮がアジア大会に殆ど参加しない韓国も北朝鮮の全力が強いという情報が入手されれ
ば66年イングランドワールドカップ予選や74年テヘランアジア大会のように対決を避けて
来たからだ.

南北が国際舞台で初めて出くわしたことは76年泰国バンコクで開かれた第18回アジア青少
年サッカー大会準決勝戦.
国家代表チームの間の初激突は78年12月バンコクアジア大会決勝戦で両チームは延長血闘
までしたが0-0で勝負を選り分けることができずに共同優勝を占めて詩想台で一緒に肩組
みをして金メダルを首にかける場面を演出した.

以後南北は80年9月クウェートで開かれたアジアンカップ準決勝(韓国2-1勝), 89年シンガ
ポールで開かれたワールドカップ予選(韓国1-0勝), 90年中国北京ダイナースティーカッ
プ(韓国1-0勝)で取り組んだし90年統一サッカーの時は仲良く1勝1敗を分けていた.

引き続き92年北京多異ナースティーカップで1-1で引き分けた後一番最近の Aマッチであ
る 93年渡河で開かれたワールドカップ予選では韓国が3-0で勝って本選進出の足場を用意
した.

国家代表チームは北朝鮮との歴代戦績で5勝2分け1敗で優位を占めている南北サッカーは
青少年代表チームが91年6月ポルトガルで開かれた世界青少年サッカー大会に単一チーム
を出して8強進出の結実を結んだりした.

当時コリアという名前で単一チームを構成した南北は初競技でアルゼンチンを負かすなど
善戦の中に8強に入る底力を誇示した.

 <表>南北韓サッカー国家代表チーム歴代戦績(韓国8戦5勝2分け1敗優勢)

 日付     場所      大会      結果  
78.12.20 泰国バンコク アジア大会決勝   0−0 引き分け
80.9.28 クウェート   アジア大会準決勝  2−1 韓国勝ち
89.10.16 シンガポール  W杯最終予選   1−0 韓国勝ち
90.7.29  中国北京    ダイナスティーカップ   1−0 韓国勝ち
90.10.11 平壌     南北統一サッカー  1−2 北朝鮮勝ち
90.10.23 ソウル    南北統一サッカー  1−0 韓国勝ち
92.8.24 中国北京    ダイナスティーカップ    1−1 引き分け
93.10.28 カタール ドーハ  W杯最終予選   3−0 韓国勝ち

 [email protected]  2005/03/13 19:50送稿