ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー2262

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[李英米記者のリアルトーク] 国内復帰論難イ・チョンス
[日曜新聞] 2005-03-12 07:02
“お姉さん, 私インタビューしないです. このごろには韓国語するのが怖い. 一言だけでも十節に
記事化されるの…. 申し訳ありません.” 去る 5日夜明け(韓国時間) スペインにいるイ・チョンス
(24・ヌマンシア)に電話をかけた. もう知人を通じて韓国言論とのインタビュー拒絶意思を明確にした
イ・チョンスはずいぶん前から ‘お姉さん’で称して親しさを示した記者にまで重ねてインタビュー
拒絶意思を明らかにした. イ・チョンスの声には怒りが一杯だった. 最近一言論を通じて K-リーグ
復帰意思を表明したと知られながら不本意ながら集中取材対象で浮び上がった彼は言論との
接触を切ったままやせがまんと毒気を抱いて再起のためにばたついていた. ‘独占’ ‘単独’という
表現をつけないことに約束して固く心のかんぬきを差したイ・チョンスを説得して彼を取り囲んだ
さまざまな疑点に対して少しずつくすぶった心境を伝えて聞くことができた.
先に ‘このごろどうしているのか’と軽いあいさつから渡した. 言葉取り出すのがすごく控え目だったが
イ・チョンスは何気ないように “私, このごろよく暮らします. 何気ないです. 気持ち良くないこともなくて,
むしろ韓国にいる人々が私が大変だとそら見当で心配するようなの”と言いながらぶーたれた.

イ・チョンスは韓国言論はもちろんスペイン言論ともインタビューをしないと言う. 韓国ではスペインから
出た記事を参照してスペインでは韓国に報道された内容を土台で ‘小説ような’ 記事をソデンダであり声を高めた.
“言論で私をなぜこんなに殺そうとするのか分からないです. 2002年ワールドカップ以後言論の
ひどい叱咤にもよく堪えて来たが今はその強度がもっと強いようです. こういう時であればあるほど,
負傷で競技(景気)出場ができなくてひどく気苦労している時, 一度でも日もっと浮かべてくれて
私の立場(入場)で激励の記事を書いてくれたら本当に勇気百倍して力を得るようになるようなのに
本当にあまりにもひどいです.”
イ・チョンスは確かに今の状況が最悪であることだけは事実だがこのまま座りこまないと自信した. また
イ・チョンスの真価を知らせるようになる時, あの時今に見ろは不満を抱くメントも躊躇しない.
私がなさけない! 言論に対する不満が自分に対する怒りにつながった. イ・チョンスは自分自身を
‘なさけない’と表現した. 去る 1年半の間1ゴールも入れることができなかったという事実のためだ.
“ゴールを入れると認められる選手がゴールが入れる事ができなかったからあらゆる批判は当たり前です.
私もこんな私が理解ができないのにまして他人は加えます. 韓国を代表してスペインに初進出した選手が
悪口だけ食べているの. ところでどうします. どうしてもゴールが入らないのを. ゴールポストの前で
シュートを飛ばしてもゴールポスト当たって出るのをどうしてすって. その心情分かるもします.
その状況に処する時私は心臓が切られて行くことだけ同じなんです!” それでも信じてくれてほしかったと言う.
今年のシーズン始める前に国内外マスコミを向けて一シーズンだけもっと待ってくれと頼んだし
自分のスター日常こんなにひたすら ‘おかゆを作って’ あるだけではないことと言う(のは)自信感も一役した.
イ・チョンスは自分がもしパク・チソンやイ・ヨンピョウだったらこんな式の ‘売渡(罵倒)’はあわなかった
はずだと吐露した. 自業自得でも, 先入観でも, イ・チョンスという選手に対するイメージが最悪の状況で
最悪のシナリオで繋がれていると切なさを吐露した.

国内復帰説真偽 この間 2005ピースコップコリア組織委員会では最近おこったイ・チョンスの利敵説と
係わってレアルソシエダドツックに問い合わせた結果来る 7月韓国で開かれるピースコップ大会以前まで
イ・チョンスの利敵はないことと言う(のは)公式立場(入場)を確認したと発表した.
すなわち 6月30日までヌマンシアに賃貸されたイ・チョンスの利敵はピースコップが終わった後こそ
可能だということ. その背景にはイ・チョンスがはまった状態でピースコップに参加する場合
レアルソシエダドは違約金を払わなければならないからだ.
244 :05/03/12 08:31:16 ID:lYTr3Ikk0
チラシも自称関係者も順調にやかんを追い詰めているな
“韓国言論の報道とおりなら飛んだもう韓国で復帰したし多分今ごろは K-リーグの一チームで走って
いなければなりません. どんなに何も決まらない状態で確認さえしないで ‘イ・チョンススペイン進出から
復帰まで’と言う(のは)記事を書くことができるのか, 本当に言うものがないです. 利敵説が知られた後
ヨーロッパのエージェントたちからお問い合わせ電話をたくさん受けました. もちろん彼らのお世辞
みたいな言葉に目が眩まなかったがそれでも気持ちは良いんですよ. 気を引いているという事実のため.”
イ・チョンスは国内復帰が現実的に不可能だと予想した. 巨額の移籍料(3百50万ドル)に 10億ウォン台に
迫る年俸, ピースコップに出場することができない場合問わなければならない違約金まで合すれば
皆 4百50万ドル, すなわち約 50億ウォンにあたるお金が行き交わなければならないからだ.
いくらソシエダドツックで移籍料を低めると言っても 40億ウォン以上になる身の代金は相変らず
‘障害物’と作用する.
“最近 K-リーグのプロチーム監督様たちから直接迎入提議を受けたりしました. もちろん感謝したんです.
日要するチームがあるという事実は今の私に最高の贈り物だから. しかし心はひかれても現実的に
解いて行かなければならない問題が一つ二つではなく気経に意思表示をすることができなかったです.
私がここで 1年にいくらを儲けるのかご存じですか? 手当てまで合わせて 1年に 18億ウォンずつお入りなさい.
韓国で私の年俸を合わせてくれるに値するチームがありますか?” イ・チョンスは年俸外に 1競技当たり
60分以上を走れば 1千5百60万ウォンをもらって, 45分未満の場合 1千2百万ウォンほどの手当てを
取りそらえることができる. 今もイ・チョンスの年俸はソシエダドとヌマンシアで半々ずつ共同で負担する.
こういって見るとイ・チョンス口で高い出場数当たりだから自分を出場させないという不満が流れ出たりする.
インタビュー拒絶うちまく イ・チョンスは去る 2月ドイツワールドカップアジア地域最終予選戦を控えて
代表チームに合流する当時すべてのインタビューを断ったまま訓練と競技(景気)にだけ集中した.
去る 2月2日帰国する当時には空港で待っていた取材陣を弾き出して他のゲートにくぐるなど記者たち
との接触をわざわざ避けた. その理由を聞いた.
246李ドングック全域申告 :05/03/12 08:32:43 ID:nHxjqGiA0
[ スポーツ韓国 2005.03.12 07:31:11]

“兵長李ドングック全域を人受けました.ここにとどけます.”
‘ボンプレレホの皇太子’李ドングック(26・光州常務)が14日国軍体育部隊で全域式を行われる.
しかし李ドングックが全域申告はしかし当分はシビリアンではない軍人身分で残る.

李ドングックの正確な全域日付けは来る26日だ.李ドングックが前暦日より12日や前で全域式だけ
行われること.事情となるとこのようだ.李ドングックの除隊の日である26日はあいにくにも韓国サッカー
代表チームのサウジアラビア遠征頃期日だ.代表チームの主攻撃数である李ドングックがサウジ前
出場のために15日出国して前暦日まで国内に居住しないから全域式だけ繰り上げたのだ.
書類上に厳然に‘兵長李ドングック’である.

したがって14日全域式を行われて直ちに代表チームに召集される李ドングックは26日までは
軍人身分が維持される.李ドングックは15日軍人身分に出国してから27日帰って来る時は自然に
シビリアンで変身する.

李ドングックはこの日全域式で‘誇らしい常務である上’の感状を受ける.

李ドングックは2003年3月10日論山訓練所に入所しながら郡生活を始めてから2年余りぶりに
軍部隊門を出るようになった.

李ドングックの郡生活は特別な意味がある. 2002韓日ワールドカップチーム脱落衝撃と一緒に
スランプに抜けた自分を完璧に復活させたからだ.去年6月ヨハネスボンプレレ監督によって
2年余りぶりに代表チームに復帰した李ドングックは去年代表チーム10競技で8ゴールを抜くなど
最高のストライカで派手に復活した.常務部隊の‘不死鳥精神’が李ドングックの派手な再起と
ぴったりで落ちたこと.

李ドングックは“郡生活をしながら自分を振り返るようになったし,下積みからまた始めるようになった.
郡生活がはかるのに決定的な役目をしたようだ.一生忘れることができない瞬間に記憶されること”
と言いながら兵営日記を折った.

(ゾングドングチォル [email protected])
“言うことがないから. 良いことがあるとインタビューをします. 本当におこがましいです. 言葉をたくさんする時は
サッカーを口でするのかと何だと言った人々がもうものを言わないから言わないとまた何だと言うんですよ.
あの時クウェート前控えて記者たちが執拗にインタビューを要請したがすべて断りました.
すると代表チーム言論担当する方が私が困られる記者たちにクウェート前でゴールを入れてインタビューする
言葉を作ったんですよ.” 言うのが好きな人が, 人々に関心受けて視線ひくのが好きな選手が露出を憚るには
確かに深い事情が隠れていた. 記者も ‘記者’と言う(のは)職業をつけて取材をする立場だから
イ・チョンスが言論を向けて ‘各’を立てるのが理解ができながらも記者立場(入場)では取材源とはまた
他の接近方式が必要になるしかないということをイ・チョンスに説明した. それでもイ・チョンスはしこりが
残った心を易しく解くことができなかった.

スペインでのホームシック 今イ・チョンスが最悪の状況に陷った一番根本的な理由が知りたかった.
誰も思うことができる負傷外にイ・チョンスをしきりに座りこまれる ‘それ’はなにか.

“さびしさですよ. 言葉違って顔付他の国から適応して行くのが思ったより易しくないです. 1年半の外国生活間
誰も経験すると慰める方々もいるがその過程に置かれている私としては明らかな突破口が見えないですね.
一日早く負傷で回復して競技(景気)を走って自信感を取り戻すのが急先務でしょう.” レアルソシエダドで
ヌマンシアに賃貸されたこともどの位影響を及ぼしたと言う. もし 2年次である今もソシエダドでずっと
走っていたら経験しなくても良いことを避けることはできたはずだというつもりだ.
248 :05/03/12 08:34:26 ID:li0NPsBE0
自分のHP作って日記書くしかないような
あっでもそこからチラシが記事書くか
“累万の時坊 2部リーグから上って来たチームだからどうしてもソシエダドとは雰囲気が違います.
しかしゴールは入れる事ができなくても上半期にヌマンシア最高の選手に選定されたりしたでしょう.
仲間たちから認定も受けて監督も私の実力を信じてくれることは確かなのに負傷などの理由で競技(景気)を
走ることができなくて息苦しいうえ裂ける一歩直前です. 率直にここでは私にゴールの話をしないです.
大きく神経を使わないです. ところで韓国でしきりにゴールに対していらだつから自然に私まで
心忙しくなるようです. これ分かりますか? 私も狂うようにゴールを入れたいというの. ゴール, ゴール, ゴール,
あ! 本当にゴールを入れたいです.” 朴駐英と私 イ・チョンスは最近 FCソウルにいきなり入団した
朴駐英に対する羨ましさを現わした. FCソウルで朴駐英外にも自分を迎入するためにあらゆる関心を
表明しているという事実もよく分かっていた. しかし朴駐英の名前に自分の名前が轢かれるという感じを
消すことができなかったと告白する. 朴駐英に対する羨ましさを過ぎて朴駐英を眺める
言論の視覚とサッカー協会, 球団関係者たちの手厚い大宇に自分の過去を振り返るほどだ.

“(朴)株霊異が青少年代表チームで抜群の実力を見せてくれたのは事実です. ところで私も青少年
代表チームの時ゴールたくさん入れました. 私はもう K-リーグで検証受けた選手です. 1年半ほどの
K-リーグ生活間 30競技, 15ゴール 15アシストの記録も立てたんです. そんな日朴駐英效果に
加えることを与えるに値する選手に見ることに問題があると思います. もしソシエダドで私を利敵させる
計画なら, またその所が K-リーグなら日まともに待偶してくれない限り私は絶対に韓国に帰らないだろう.
ソシエダドで消えなさいと言わない限り私の足に出る事は決してないというんですよ. もう一度確かに
明らかにしますよ. 状況が難しいからといって自尊心グギョがであり韓国で復帰する事はないはずです.”
イ・チョンスは名誉も重要だがお金をもっと儲けたいと強調した. 家都合が苦しかったからもっと多くの
お金を儲けて自分の価値を認められて家族たちを楽に面倒を見たいという本音を仄めかした.
250 :05/03/12 08:35:18 ID:lYTr3Ikk0
>>248
あ、その素敵な2年で越えられるはずだった人
251 :05/03/12 08:35:32 ID:VjK6Gtbb0
餡様CHやるのか
“私に墜落の酸っぱいだけあるのではないです. いつかはまた立ち上がる時があるはずです.
すべての国民が私を認めてくれる時, イ・チョンスというサッカー選手を認めてくれる時, あの時見よう.
今, 私に対する評価がいくら誤った視覚だったし記事だったのかを必ず見せてくれるはずだから.”
一方イ・チョンスはエージェントに知られた IFA 代表キム・ミン嶺さんがスペインのレアルソシエダドを
訪問した後自分の利敵と係わる交渉をしたという内容と係わって金さんと会ったとか通話をした事がないと
言って今後の波紋が予想される. しかし金さんは 7日記者との電話通話で 3月1日イ・チョンスに会ったし,
二人の出会いを極秘に付する事にしたからイ・チョンスがそれほど話したはずだと説明した.

利敵交渉のためにスペインへ行ったエージェントと選手の出会いが極秘に当たる事項だろう. その本当の事情が知りたい.

http://photonews.paran.com/newsphoto/2005/03/12/su/su669-sp_1_0.jpg
絵説明 [1]: 最近国内復帰説の出回ったイ・チョンスは現実的に年俸問題がかかるだけでなく今状況が難しいと言ってもこのまま帰る事はないと言い切った.
http://photonews.paran.com/newsphoto/2005/03/12/su/su669-sp_1_1.jpg
絵説明 [2]: レアルソシエダド利敵後初出場京幾当の時.
http://photonews.paran.com/newsphoto/2005/03/12/su/su669-sp_1_2.jpg
絵説明 [3]: 去る 2003年 8月31日スペインでデビュー戦を行うイ・チョンス. スポーツトゥデー

(李英米 [email protected])


(おわり)