ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー2249

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KFA公式 http://www.kfa.or.kr/news/news_interview_content.asp?idx=328&content_id=297&block=&gotopage=1
サッカーマニアこれはのヨーロッパサッカー旅行記@ - ソル・キヒョンを見にウルボヘムトンに行く。

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ソル・キヒョンが走っているウルボヘムトンのホーム球場全景 c。 これは

KFA ホームページでは ‘サッカーマニアこれはのヨーロッパサッカー旅行記’を載せます。
旅行記を書いたこれはさんは現在成均館大経営学部 4年生でレッドデビルスホームページ運営
特別委員会所属で活動しているし、KFA ホームページでも客員記者として活動しています。

これはさんは 2004年 12月 28日イギリスロンドンに発ってスペイン、オランダ、イタリア、
ドイツなどを経って 40余日間ヨーロッパサッカー先進国たちがサッカー文化を自ら体験して
去る 2月 9日帰国しました。

ソル・キヒョンを見にウルボヘムトンに行く。

2004年 6月、軍隊で除隊した私は以前から活動して来た浦項サポーター及びレッドデビルスと
しての活動を再開した。特にレッドデビルスではホームページ運営委員の一人として活動したし、
これをきっかけで KFA ホームページで客員記者でも活動してサッカーと係わった多様な経験が
できた。

そんな日々に続いた 2004年末、私はサッカーの元祖と言えるヨーロッパサッカーを直接現場
で経験したいという強い欲求に捕らわれた。実はこれは軍隊にある時から思ったのだ。‘除隊
すれば必ず一度ヨーロッパでサッカー旅行を選り分けなさい’と意気ごんでいた。

サッカー旅行と係わったあらゆる情報を収集した私は学校友達 1人を誘って同行させるのに成功
した。そして 2004年 12月 28日いよいよ憧れたヨーロッパサッカー旅行の雄途に上がった。

私たちが一番目行く所はイギリスロンドン。もっと詳らかに言えばソル・キヒョン選手が走って
いるウルボヘムトンだった。
320 :05/03/02 15:06:56 ID:eWPTuFwj0
圧迫→テキトーシューティン→シャベル
圧迫→サイドで勝負→テキトークロスミダ→シャベル

なんて言うか、リズム感皆無なラップって感じ
2005年 1月 1日、新年初日うちの連中はソル・キヒョン選手の競技を見るためにロンドンで約
3時間距離にあるウルボヘムトンに行く事にした。実はその前日まで地下鉄労組がストライキを
するかも知れないという話があったからソル・キヒョン選手の競技を見ることはほとんど
あきらめていた。しかし実際に当日朝ストライキは行われなかったし、プレミアリーグチケット
さえ手に入れることができなかったからそのまま頑なに何らの対策なしにウルボヘムトンで向ける
ようになったのだった。

ロンドンからウルボヘムトンに行くためには Eustonで汽車に乗らなければならなかった。Euston
まで行く道に一番印象深かったことは正しく多い人々が各各自分が支持するチームのユニホームを
着ていたというのだった。

この日チャールトンとアーセナルの競技(景気)がロンドンであったしチェルシー競技もあったし
その以外にも 2部、3部リーグに多くの競技がたくさん開かれる予定だったためだと思った。

http://www.kfa.or.kr/interview_img/wolve2_050228
雨が降る中ににもホーム球場をいっぱい埋めたウルボヘムトン観衆たち c。これは

Euston役からウルボヘムトンに行くためにはまず汽車に乗って Birminghamに行かなければなら
ない。2時間 20分位かかって Birminghamに到着してまた汽車を乗り換えて 20分余りを走ると
ウルボヘムトンが出る。

田舍の小さな小都市を連想させるようにするウルボヘムトンに到着した私たちはソル・キヒョン
選手が走っているウルボヘムトンワンドロスの球場をとても手軽く捜すことができた。駅を出るや
いなやとても多い人々がどっと特定の方向に移動したからだ。それもほとんどすべての人がウルボ
ヘムトンのユニホームを着るとかチームのマフラーを首に担いでいた。そうだからうちの連中も
そのまま他の人々に聞いて見る必要なしに彼らが行く方向を向けて水流れるように一緒に移動
すれば良いだけだった。

競技場に移動する人々を見ているから人々は本当に文字のどおり老若男女だった。孫- 孫娘の
手をつかまえて競技場に向けるお爺さん、お婆さんたちもいたし、ずっと口を合わせながら移動
する若い恋人たちの姿も見えた。
競技場だけでなく競技場隣近に位した Pub も多くの人々が簡単なビールとともに競技(景気)を
見守るために大型 TVの前で集まってお互いに歓談を交わして競技(景気)を待つ姿も見られた。
ほとんどウルボヘムトンのすべての人々がその時間だけはひたすら競技(景気)にだけ関心を持つ
ことと見えた。

競技場は現代式建物でとても良い施設を誇っていた。まずチケットブース自体がまるでマルチ
プルレックス劇場のそれを連想するようにするようにこぢんまりしている雰囲気を出していた。
チケットは私が購買したゴールポスト後屋根が張られていない座席が 20パウンド(約 4万ウォン)
だったし、国際学生証をお持ちの学生は 12パウンドで約 40% 割引をしてくれた。

約 3万名位を収容することができる競技場には 2万 8千名余の観衆が立ちこんでいた。
2部リーグにほとんど満員だから...それも悲歌たまに振り撤く天気にその位観衆というのは
本当に驚きべきに違いなかった。

雷のような観衆たちの喊声音とともに競技は始まった。そして観衆たちの応援音もやっぱり高く
なって行った。一つ珍しい事実は我が国で有り勝ちに見られるタムタムが(応援用太鼓)が全然
見えなかったというのだった。

そしてサポーターたちも国内に存在しているリーディングの概念が全然なかったというのだ。
もちろんサポーター席は存在していたが我が国のように立って応援する姿は全然見られなかった。
この前に競技場で暴力事態発生後政府が競技場で立って応援することを禁止させたし、人々の
概念上にもホーム観衆皆がサポーターであって別にサポーターが存在することではなかった。

すべての観衆たちが競技に集中していたし競技(景気)の流れに当たる応援歌が適切に、誰が
させなかったが出た。そしてなおかつ驚くべきな事実はいくらホームチームでも攻撃的では
ないプレーをした時はびしびしやじを浴びせるのだった。
私たちにはとても不慣れな風景だった。
323 :05/03/02 15:09:04 ID:dPdSOJhE0
コブラにでてくるラグボールのサッカー版だな
324 :05/03/02 15:10:27 ID:JWc2fjri0
325_:05/03/02 15:10:27 ID:LbgNCpUhO
眠い時のウリのウイイレみたいニダ
326 :05/03/02 15:11:19 ID:1ThUvp+E0
http://www.football-age.com/kiji/diary.aspx
>韓国はどうだったのかって? 食事がひどかったね。環境はやばかったね。
>早く帰りたいって思ってたよ。
http://www.kfa.or.kr/interview_img/seol050228.jpg
競技(景気)が終わった後会ったソル・キヒョン選手 c。これは

競技(景気)はウルボヘムトンのホームらしくウルボヘムトンが初盤に主導して行った。

前半戦にソル・キヒョン選手は攻撃型ミッドフィルダーとして前にあるツートップにボールを
配給する役目を担当した。国内ではウイングフォワードを週で走るソル・キヒョン選手だった
が、そういう補職を引き受けてよくすることができるかという疑問が起こった。しかし適切な
空間パスとドリブルを通じてチャンスを作って行くことを見ながら心配は安堵感に変わった。

そして前半 26分ソル・キヒョン選手はペナルティーエリア右側角で相手選手を追い抜いて
力強い右足中距離シュートでリーグ初ゴールを記録した。すべての観衆たちは
“舌骨(Seol Gaol)”を叫びながら喜んだ。

以後にもソル・キヒョン選手は良い競技力を見せてくれたが自分のチームゴールキーパーの
間違いで後半に1ゴールを許容して結局 1-1で惜しく引き分けを記録した。

競技(景気)が終わってソル・キヒョン選手に会うために選手たちが出るというゲートの前で
やたらに待つ事にした。

私たち国内リーグの場合ホームチームでも遠征チームでも球団バスに乗って宿所に移動する
のが一般的だ。しかしこちらでは遠征チーム選手たちだけバスに乗って移動してホームチーム
選手たちは球団内で自分の仕事が終われば家で帰るように自分の車に乗ってそのまま家に
向けるのではないか?

そこに選手たちも自分たちに会うために待つファンに最善をつくして、いやなけぶりなしに
サインもしてくれて話もしてそうなのだった。またすべての選手たちが義務的にスーツを着し
なければならないことも我々の現実では不慣れな風景に違いなかった。
ソル・キヒョン選手を待ちながら一緒に待っていた多くのウルボヘムトンのホームのファンと
多様な対話を交わすことができた。

イングランド代表チームの主軸だったし、今選手生活の終わりをウルボヘムトンで燃やして
いるイングス選手に関する話。

そして 2002 ワールドカップの時韓国チームの活躍の姿とその中心にソル・キヒョン選手が
いたから多くのことを期待するという意見をたくさん聞くことができた。それとともにソル・
キヒョン選手はお上手だろって自分たちのチームがまたプレミアリーグに上がるのにソル・
キヒョン選手が大きい分け前を担当すると褒め言葉をたくさんしてくれた。もちろん私が韓国
人だからそういう誉めることだがその位お正月選手が能力を認められているという意味で
解釈することができた。

1時間半ば経つと家族と一緒に出るソル・キヒョン選手にあえた。ゴールに対する祝いを受けて
球団のホームページとインタビューをすると一番遅れるように出たというソル・キヒョン選手と
対話を交わしてからソル・キヒョン選手に応援のメッセージを送ってソル・キヒョン選手と
別れた。

またロンドンに向ける汽車の中で私たちは今日競技(景気)に対するさまざまな意見を分けた。
その中普段国家代表競技だけ TVで見守ってクラブチームの競技は全然関心がなかったという
民宿でやたらに私たちと一緒にした一人は今日競技(景気)を通じてクラブチームの競技に関心が
生じたし、韓国に帰れば Kリーグ競技(景気)にも関心を持ってヤゲッダでありしきりに競技場で
受けた感動を表現していた。

そういう姿を見ながらたとえ私たちの Kリーグがまだ不足な点が多くても人々にたくさん露出に
なって味を入れるように多様な活動をするようになればやがて観衆たちがたくさん集まって来ると
思うようになった。

そのようにロンドンに帰って来ながら心の中にソル・キヒョン選手の健闘を祈りながら宿所に
帰る道を急き立てた。
329 :05/03/02 15:12:53 ID:Y/WQUriw0
>>326
どっかでも聞いたセリフだな。木島、こいつ!!111
http://www.kfa.or.kr/interview_img/wembl050228.jpg
新たに建設中のウェムブルリ球場 c。これは

アーセナルホーム球場を訪問する。

ソル・キヒョン選手話を先にするために落としたが、イギリスロンドンに到着するやいなや
私たちが行った所はイギリスサッカーの搖りかごであるウェムブルリスタジアムと去るシーズン
無敗優勝を掘り起こした名門アーセナルのホーム球場こんにちはベリースタジアムだった。

ウェムブルリスタジアムはたとえ今は新しい姿を見せるためにしばらく工事に入って行ったが
開場以後イングランド国家代表チームの伝説的な競技(景気)を見せてくれたし、
バービーチャールトン、スタンリーメティユスなど伝説的なスターたちの息づかいが感じられる
所でもあった。

私たちが泊っている民宿からウェムブルリまでは地下鉄でただ三停車場だった。しかしロンドン
地下鉄には Zone概念があるのに、私たちがお持ちしていた一周一致交通カードは 1~2ゾーン
外へ行くことができないことだからウェムブルリに行くためには新しいチケットを買わなければ
ならなかった。

分かるようにイギリスの物価は私たちにはとても高いことなので三停車場に行くのに入る費用は
私たちのお金で約 8千ウォン位だった。したがってうちの連中はウェムブルリまで勇ましく
歩いて行く事にした。

幸いに私たち宿所でウェムブルリはぼんやり見えて大きく遠いという考えなかった。ぼんやり
見えるウェムブルリの骨格を目の前に置いてやたらにその方向で旅に出たうちの連中は街道街道
骨格だけ見えるだけ見えないウェムブルリ球場をこれからしてずっと歩くしかなかった。

通り過ぎる限り年寄りにウェムブルリ行く道を問うとみんな歩いて行くということに当たってで
とても驚くべきでしながらバスに乗りなさいと勧めるほどだったから、私たちが常識でよほど
脱した事をしているということを易しく分かった。
とにかく 1時間 30分間の紆余曲折あげくウェムブルリ競技場に到着したうちの連中は失望と
驚きを同時に感じた。

我が国の場合大きい球場を補修するとか新たに作るとかする時一番先に作るのがすぐ広報館だ。
その広報館であらゆる青写真たちを提示しながら夢の球場だから、複合球場だからしながら
手前味するのに忙しくないか?

うちの連中ももうウェムブルリが工事の中というのが分かったから儀礼そういう広報館があると
思いながらやたらに駆け付けたのだ。しかしその所で広報館は捜してみることができなかったし、
ただ競技場の前に想像図が描かれている見窄らしいプラカードだけがあることが全部だった。

それに 12月 31日だから工事現場自体がお休みに入って誰もいない、言葉とおりさびしくて
静かな鉄骨構造物に過ぎなかった。しかし補修の中にもかかわらず想像図を見ながらこの競技
場が完工される 2006年夏がよほど待たれざるを得なかった。その雄大壮厳な姿と造形芸術は
国内では見たことがない、全然新しい姿だった。

もちろん私たちのワールドカップ競技場も素敵で美しくはあるが新しいウェムブルリ球場は
イングランド特有の美しさと雄大壮厳であることを見せてくれるようだった。

こちらでまたダビッBackham、塁だから、オーウェン等の選手たちが伝説で残るようになる
はずで、機会になったらうちの選手たちもここでイングランドをほてるように撃破してウェム
ブルリ球場の新しい歴史を創造したらと思う気がした。
332韓国女特徴一つ..!! :05/03/02 15:14:34 ID:Xb5RDWQa0
韓国女特徴一つ..!!
作成者: 、ア、ア、ア、ア
作成日: 2005/03/02 14:51 (from:221.146.94.94)
サイホムピに観光地で外国人と(誰でも一人取って取る..、ム,.、ム;;)
写真を取ったことあげながら下に常に書く言葉
\"私と*一番親しい*外国人友達JenniferとSteve\" 、ム,.、ム;;;; ‐‐、サ、サ、サ
韓国女白人男なら無条件ダチンヘジゴシブオする..
どうして東南坊では東南アジア男とは写真がチアンチックオ??
濾過なしに韓国女の白人追従をザルドロネンダ
http://www.kfa.or.kr/interview_img/ars050228.jpg
表で見るには非常に見窄らしいアーセナルのこんにちはベリースタジアム c。これは

何も捜してみることができなくて惜しかったウェムブルリを後にして私たちの駆け付けた所は
アーセナルのホーム球場であるこんにちはベリースタジアムだった。

やっぱりロンドンは初めだからバスも過ち乗って歩いて行ってするなどの紆余曲折を経験する
ことはしたがそれでもその所は地下鉄と繋がれていてウェムブルリよりは手軽く捜すことが
できた。

ただ一つ心配になる部分はスタジアムツアーを予約するためにずっと予約電話をかけたが歩く
度にアンサーリングマシンが受けたというのだったが...

私たちはアーセナル駅を向かって行きながら地下鉄の中で新しい仲間にあえた。香港から来た
というチームさん家族で新年お休みのためイギリスを尋ねてから息子がアーセナルが好きで
アーセナルスタジアム見物を行くというのだった。

この家族とあらゆる話をしながらアーセナルこんにちはベリースタジアムの前に行っているのに、
この家族息子奴が一番好きだというチームがアーセナルと日本代表チームという事実に少しの
ショックを受けたりした。                     ^^^^^^^^^

地下鉄 Picadilly ライン Arsenal役に位したアーセナルは TVで見ていることとは完全一変
だった。まず位置自体が住宅加えた中間にあったし、周辺地域も富裕な町内ではなかったし
スタジアム自体がとても古かったということが分かった。

それでアーセナルが今すぐ側に新しい競技場を建てているしそれだから資金に圧迫を受けて選手
迎入に易しく跳びこむことができないということを身で体感することができた。
334 :05/03/02 15:16:28 ID:8w8BhWif0
>>332
なんだか興奮してて意味がわかんねへなあ
335  :05/03/02 15:16:51 ID:xEzhtqQB0
>雷のような観衆たちの喊声音とともに競技は始まった。そして観衆たちの応援音もやっぱり高く
>なって行った。一つ珍しい事実は我が国で有り勝ちに見られるタムタムが(応援用太鼓)が全然
>見えなかったというのだった。

Kは客がいないからしょうがないけど
第2リゴも鳴り物禁止して旗もいらない歌は今の1/3でいいですね
率直に言ってヤグと変わらなさ...
336 :05/03/02 15:17:12 ID:64lkldT+0
ID:JWc2fjri0

うざいよ
ぶっちゃけKFAのネタは面白くない
こんにちはベリースタジアムの古い門の前に到着したら心の中に心配で残っていた部分が現実に
現れた。すぐアンサーリングマシン部分。すなわちこちらも 12月 31日休日なので誰もいないと
いうのだった。

英語実力が大きくすぐれないうえ慣れないイギリス式発音に良くない通話音質でやっとやっと
アンサーリングマシンで言うことをまた聞いて見たら結局今日は 12月 31日なのでスタジアム
ツアーもないしすべての職員たちが休んでいるというものを言うのではないか?

ここまで来てスタジアムに入ることができないということがあまりにも惜しくて悔しかったが
結局外で写真だけ撮った後惜しいことはスタジアム門の前に残しておいて、またアーセナル駅で
足を運ぶしかなかった。

アーセナル駅の前で私たち仲間はたとえスタジアムは見られないがこちら人々と話やして見なく
ちゃいけないと思って駅の近くにいる人々に近付いた。

その中目立つ群れがあったが壮健な 4人の青年が属している群れだ。この人々はスペインバル
セロナから来たし休日ごとに片手間に主です競技場を尋ねて主です競技(景気)を見回る人々
だった。

私たちが韓国から来たと言おう "春水 李"が知ると言いながらイ・チョンス選手の話をした。
彼らによればイ・チョンス選手はとても運がない選手で、今最下位であるヌマンシアに行ったが
このチームも守備主の戦術を広げるチームなので機会が多くないだろうと言いながら切ながった。

これらとあらゆる話をしながらワールドカップの話が出るとお互いにその話はしないと笑いながら
越したりした。
その外他の人々とあらゆる話をするのに、一度は一お爺さんインタビューをしようと思った時
だった。そのお爺さんはアイルランド人だったがインタビュー要請をするとその方は応じて
くださりたい気付きなのに横にいたお婆さんが時間ないと言いながら拒絶をした。

しかしお爺さんはそれでも東洋人がものをかけて来るのが不思議だったのか新しい競技場が
横にいると言いながら自分を付いて来なさいというのだった。熱心に付いて行った私たちは
新しい競技場前分かれ道でお爺さんと別れようと思うのに、問題はここで発生した。

このお爺さんがインタビュー対象を捜している私たちが可哀想だったのかそこあるある二人の
男を示しながらあの子らがインタビューをしてくれると言わないか?その二人の男中一人は
右手に酒ビンを持っていたし印象が非常に刺刺しい人だったがどうしてそのお爺さんはよりに
よってその人々を指目したのか...

とにかく恐ろしさをかえりみずうちの連中は 3人なのに 2人が何をすることができるのかと
インタビューを進行した。その酒ビン入った人はもうお酒が酔って舌が狂っていたし、結局
だいたいわかった話は自分はリバプールファンでアーセナルが嫌いで新しいアーセナル球場
が開場されれば自分が薬(麻薬)売ることに差し支えがあるようだは話をした。

それとともに私たちに麻薬が必要ならば電話すると言いながら電話番号まで知らせてくれる
ことではないか。電話番号受けたり恐ろしくてそのまま持って行ったビデオカメラに録画を
してそれほど別れることができた。本当にあっけないインタビューだった。

彼らと別れて 7万席規模というアーセナルの新しい球場を一回り見回して私たちはアーセナル駅を
通じて宿所に無事に帰って来ることができた。帰って来る地下鉄の中でそれでも外でアーセナル
スタジアムを見たという満足感と次には必ず切符を求めて競技(景気)が見たいという期待を
持ってウェムブルリ & アーセナル探訪を終えた。

-> 2編に引き続き...
文:これは 2005-02-28