ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー2239

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2003年8月31日一日の間韓国人たちの口に一番多く上り下りした名前は正しく‘イチョン
シュ’だった.スペインプリメラリがデビュー戦だったエスパニョル前でゴールも違いな
い助けをあげた後‘韓国サッカー自尊心ありがとうございます’と書いた下着を取り出し
て見せてグラウンドを疾走した彼の姿は蒸暑さを一気に飛ばす凉しい清凉剤だった.

たとえアシストに記録されて下着セレモニーはひょろ長くなったがしばらく国民はイチョ
ンシュが次競技(景気)下着に何の文句を書くかを気になるほどに彼の活躍を疑わなかった.
しかしそれから1年7ケ月が経つように待ちこがれたゴール消息は裂けない代わりに国内復
帰説が出てしまった.

レアをソシエダド利敵初日イチョンシュの性的は13競技出場に2アシスト.オリンピックチ
ームと代表チームを行き交うためにコンディション調節が大変だったという点を勘案して
も満足な結果ではなかった.結局ドヌに当時ソシエダド監督はイチョンシュをヌマンシア
で賃貸しする事に決めたしイチョンシュは2004年夏スペインの小都市ソリアで新しい生活
を始めなければならなかった.

しかし臥薪嘗胆を念をおしたヌマンシアでも不振脱出に失敗した.チームで数少ない国家
代表級選手で多くの出場機会をつかんだしスピーディな突破と正確なフリーキック実力を
威張ったがゴールポスト不運に支えて初ゴールをとどけることができなかった.弱り目に
崇り目で細かしい負傷までひどくなって体力的な弱点を指摘受け始めた.特に去年末以後
目立つようにペースが落ちた後エ-ル乱デス監督と言論の熱い視線の中にビッグリーグ正
服の夢はだんだん遠くなって行った.

スポーツトゥデー/イムジオ[email protected] 2005.02.24 22:43