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セルジオ越後『日本サッカー 勝つための準備』(2000年6月) p.147-148
監督として必要なことのプライオリティ(優先順位)をいうと、一番には喋ることができるか
どうかが問われる。きちんと自分の考えていることを伝える能力だ。同じ日本人でも、うまく喋
れない人はダメだ。特に昔のように、オレの考えていることは、黙っていてもわかるだろうとい
う日本人的指導法は、今の若い選手にはもう通じない。
二番目がカリスマ性だ。このカリスマ性がはっきりしている偉大な選手ほど監督になりやす
い。だからといって、その人間が必ずしも強くて、いい監督になれるかは残念ながら別だ。カリ
スマ性があって、理論があってもそれを伝える手段を持たないとダメ。素人目にはカリスマ性が
あれば十分と思うかもしれないが、決してそうではない。
ジーコがいい例だろう、選手としてカリスマ性があり、総監督としての実績はある。だが、彼
自身が監督になると、一番目にあげた喋ることがあまりうまくないから、決していい結果が得ら
れるとは思えない。本人もそのことがわかっているから、あの立場でいるのだと思う。
いいセールスマンはいいトークができるように、喋ることはコミュニケーションの原点であ
り、その喋りで相手を魅丁してしまう。そういう意味では教育者にも似ている。さらにいえば、
あまり適切ではないが宗教家ともいえるかもしれない。